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研究の軌跡_20260217 気づき(マインドフルネス)や注意の欠如と、執着の関係

注意や気づき(マインドフルネス)が足りていない人々

注意障害やADHDといった病名が存在するが、そういった診断を受けていない人でも、明らかに注意や気づきが足りておらず、何かおかしな行動をする人がいる。

私の個人的な印象であるが、そういう人は、「おかしいことはしていない、私は正常だ(あるいは有能だ)」ということを過剰に表現しようとする。

そして、おかしいという指摘を受けることに対して、過敏に反論したり、完全にスルーしようとしたり、とりあえず簡単に謝って切り抜けようとしたりする。

また、他者が何かミスをしたり弱みを見せたりすると、ここぞとばかりに過剰に攻撃して優位に立とうとする。

注意や気づきの欠如に至る原因と、改善の可能性

注意や気づきの欠如に至った原因は、先天的な脳の欠損などによるものと、後天的な原因によるものに分けられる。

後天的なものとしては、慢性的なストレスまたは瞬間的なトラウマ的なストレスによるものが多いと思われる。プレッシャーのかかる仕事を続けたり、過剰な情報にさらされてパンクしてしまって情報を無意識にしぼりこんでしまったり、速く仕事をしようとしすぎて周りが見えなくなったり、突発的な事故や事件によってトラウマを受けて感覚に偏りが生まれたり、あるいは物理的に頭をうったりしたり、その他さまざまな原因が考えられる。

それぞれに多少の差はあれど改善・向上の可能性はあると思われるが、特に後天的なストレスに起因するものに関しては、ヨガや瞑想によって改善する可能性は、十分にあると思われる。

症状の改善の可能性、それを邪魔するもの

しかし、それを改善したいと思ってレッスンを受けにきているわけではない場合は、教える側がどんなに親身にアドバイスをしたとしても、それは前述のように「私は有能だ!おかしくない!」というフィルターによって反発を生み、良い結果にはならない。

おそらく、社会においてはいろいろ指摘を受けたり陰口を言われたりしながら、それでも自分は正常で有能だと思い込みたくて、苦労を重ねた末に、そういったフィルターを作り上げてしまったのかもしれない。

そのフィルターがあるうちは、何も変わらない。

変わるためのきっかけは、本人がその執着を捨てることであると思う。

教える側の立場

教える側の人にとっては、教わる側が変わろうとしていなければ、どんなに親身にアドバイスしたとしても、「あなたに言われたくない」というフィルターによって、良い結果にはならない。

反発を生むか、わかったふりをして切り抜けられて何も変わらない、といった結果にしかならない。

かなしいことではあるが、それも仕方ない。

同じ周波数帯でぶつかりあっても、なかなかうまくいかない。通常の言葉などは、とても粗雑な波動のアプローチになってしまう。より高周波の祈りやヒーリングなどを洗練させるほうが現実的かもしれないが、これも一般的にはなかなか難しい。

執着を手放す、あるいは手放させるには

なにか衝撃的な出来事などがあって、自然に変わる可能性もあるが、意図的にそれを変えていくにはどうしたらいいのか。

ヒントとしては、変性意識状態を活用するのが一つの道かもしれない。

参考:瞑想における変性意識状態と脳波について

変性意識状態に入るためには、呼吸やイメージや、眼の使い方などが鍵となる。リラックスした状態に入り、心の波立ちを鎮め、無意識の心の働きをコントロールできるようになる必要がある。通常、人間の思考や活動のほとんどは、無意識下にあって気づきが及んでいないのである。

変性意識状態に入って、人から暗示をかけられる、というのも道としてはあるが、私は可能な限り自分自身で行うのが良いと思う。支配を受けるほうが楽だとしても、それは自分の意志で支配下に入る、という形であるのが自然であろう。

とはいえ、いずれにしても本人が変わろうとしていなければ、強制的に変えようとするべきではないと思う。

変わろうとせず強固なフィルターを纏ったまま人に迷惑をかけ続ける人には、一般的にはあまり関わらないほうが良いのであろう。

どんなに気をつかって言葉を用いても、なかなか効果的に働かない。

言葉は本当に、粗雑である。そして気づきの欠如した人々から発せられる言葉は特に、哀しみと緊張に満ちた攻撃的(あるいは過剰な防御的)な波動を含むことが多い。

祈りとオーラだけでも、そういう人々を導けるようになりたいものだ。

参考:ヨガ雑談チャット 執着を手放すための考え方 2025.10.10.22:10-22:50

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