どのように生きるか

自然であること

自発的であること
自由であること

雑念をなくす
不自然をなくす

無意識の働きに気づく
自然の働きに気づく

人は迷い、色々なことをする
そのように、創られている

繰り返す迷妄の果てに、役割を悟る
そして、今、なすべきことをなす

誰に命ぜられることなく、誰に押し付けることなく
自ら輝くことによって、世界を暖かく照らす

自己を知り、変えていく方法

1. 立志:自ら理想を描く

2. 内観:理想と現状の違いを自ら洞察する

3. 変革:理想へ近づくために、自ら決めたことを実践する

4. 開悟:理想も現状も変化し続けてキリがないことに気づく。全てを楽しむ/全てを委ねる/全てを捨てる。いずれにしても全ては平等になる。

顕在意識と潜在意識

「このようになりたい」と思い描くのは顕在意識の働きであり、生命を維持して心身を整えることは通常時には潜在意識が行っている。

顕在意識は意志を抱き、欲を抱き、動き、すなわちアンバランスを生む。潜在意識は、バランサーである。

そのため、時には顕在意識は働きをやめて、潜在意識にバランスをとってもらう必要がある。それが睡眠や瞑想である。

「このようになりたい」という理想はどのような範囲で描かれるべきなのか。その可能性を知っているのも潜在意識であり、それは顕在意識が思い込んでいるよりも広い可能性を秘めているかもしれない。

いずれにしても、変革の各ステップにおいて、顕在意識と潜在意識の対話が必要となる。

1. 立志:自ら理想を描く

顕在意識が志を抱き、潜在意識はそれを支えるように裏で活動する。

しかしあまりにも無理なことを思い描けば、アンバランスが限界を超えてしまう。

可能な範囲でのアンバランスを引き起こし、潜在意識と対話しながら、人は志を描く。

小さなことでも良い。「前屈の柔軟性が高い身体」などでも良い。そのためには、明確に、具体的に、どんな心身を備えていればよいのか、心身の内面を知り尽くした潜在意識と対話しながら描いていく。

2. 内観:理想と現状の違いを自ら洞察する

志(理想的な状態)と、現状の違いを洞察するには、自己を客観視する必要がある。

しかし認識の主体が「自己」であるならば、客観視することはできない。

つまり、肉体や心が「自己」だと思いこんでいては不可能である。

これらを超越したところにある、いわば「魂」としての「真の自己」から、ありのままの心身を観るのである。

前屈が固い自分にはどんな原因があって、それはどんな日常生活の癖によって引き起こされているのか。執着せず、嫌がらず、ありのままを観る。

3. 変革:理想へ近づくために、自ら決めたことを実践する

立志と内観によって、理想を描き、現状とのギャップに気づくことができた。

ギャップを生み出した原因を手放していき、ギャップを埋めるために何をしたらよいか、自ら決めて行動していく。

前屈を深めるために、日常生活を変える必要があるかもしれない。執着せず、勇気を出して、自ら変えていく。

4. 開悟(言葉では表せない「体験」)

志が達成できたら、次の志を描く。らせんを描きながら、人は生きていく。

次々に達成していくが、それはキリがないということに気づく。

気づいたときに、どうするか。

  • 全てを、楽しむ
  • 全てを、神に委ねる
  • 全てを、捨てる

言葉で表現すると、真逆にもなってしまうため、この境地は言葉で表すことができない。

いずれにしても、全てが均一な「平等の境地」へとたどり着く。

健康に関する理論と実践(散文的雑論)

基礎理論

本来、人間には病気を防いだり治したりする力がある。

その力には個人差があり、差が生じる原因は、物質的なものだけに限らない。

遺伝子や脳のような物質的なものや、「気」のような目に見えないものも含めて、人間にはまだまだ使っていない力が眠っている。

心と肉体は相互に作用する。

心にはさまざまな働きがある。直観、意志、思考、感情…。それらが肉体を創り、肉体を動かし、肉体や周囲の世界にまで影響を与える。

人が存在し活動していく上で、普段「私」として認識している「顕在意識」の他に、いくつかの意識が働いている。

心臓を動かしたり、内分泌腺を働かせたりしている、「潜在意識」がいくつか存在する。

「健康」を考えるとき、肉体だけ・部分だけに執着してはならない。

部分が変化し始めると、全体も変化し始める。良き変化の波は、妨げないようにする。

肉体が整い始めれば、心も整い始める。心が整い始めれば、肉体も整い始める。

心の変化は速く、肉体の変化は比較的遅い。

心は瞬時に変化する。良い変化があったとしても、瞬時に悪く変化することもある。

移ろいやすい心をうまく操るためには、気づきを連続させ、一点につなぎとめておく練習が有効である。それが「集中」であり、集中の絶え間ない連続が「瞑想」である。

肉体は基本的に動くことを好み、同じ姿勢で固定されていると疲労がたまりやすい。

それは「眼」も同様であり、同じ位置・距離のものを見続ければ疲労がたまりやすい。

癖によって、ふだん動かさない部分が固まってくると、血行不良などによって他の部分にも影響が現れる。また、怪我に繋がったりする。

普段使わない筋肉を目覚めさせるために、新しい種類の運動をしたり、動きの指導を受けたりするのは有効である。

ヨガのアーサナは、正しく行えば、怪我をしにくく、普段使いにくい筋肉を効率的に使うことができる。

ヨガの呼吸法・ムドラーを用いた瞑想は心と肉体をつなぐ鍵となる。

ヨガには有効な技法がたくさんあるが、それに執着する必要はない。自分に合ったものを選ぶ。

人それぞれ合ったやり方があるので、押しつけない。

技法に執着しない。必要がなくなったら手放す。

全てはなんらかの意志によって創られ、意志によって活動する。治る力も意志によって生み出される。

イメージの力を磨くことは、実際に肉体や心に変化をもたらす。逆に先入観や思い込みは、それらの活動を抑えつける。

癖を手放すには、心と肉体、全体に気づき続ける必要がある。癖はたびたび顔を出し、瞬時に悪い状態へ引き戻そうとする。

全ては経験。それをするために人は親から分かれ、生まれてきた。

肉体の実践

本当に「気持ち良い」と感じることをする。

心の実践

本当に「気持ち良い」と感じることをする。

根源的な問い

そもそも「健康」「長生き」は普遍的な価値観ではない。なにがあれば「幸せ」か?足るを知るべし。

一歩踏み出すために

気づきを磨く。先入観・偏見・思い込み、気づきを曇らせているものを手放す。

ついついやってしまう、心身の悪い癖に気づく。

余計なことをしないようにして、今やるべきことに気づき、そこにエネルギーを注ぐ。

ストレスがなるべくないように生きる。

視野を広くする。エゴの壁をひとつひとつ手放し、ひとつひとつ外の世界へ意識を広げ、全体の幸せを考える。

感謝・謙虚・純粋。

非暴力・誠実

生き方の指標

1 どのように生きるべきか
2 気づきを磨く
3 気づきを絶え間なく連続させる
4 印象を完全に制御する
5 心身の動きを止める(気づきを連続させながら)
6 自然に生じるものに気づく
7 自分を取り巻く自然の流れに気づく
8 気づきを拡大させる
9 世界全体に気づき、自分の役割に気づく
10 なすべきことをなす

どのように生きるべきか

おそらくそれは「どのように生きれば幸せか」ということだろう。

幸せとはなにか。それは人それぞれ異なるものだ。

自分が今、どうなったら幸せと言えるのか。それを確認せずに生きていたとしたら、迷い苦しむことは明白である。

「幸せの指標」を確認してみよう。

それは限りなく絶対的な指標であるべきである。

他者との比較によって測られる相対的な指標による幸せでは、永遠に満たされることはない。

幸せの指標は必ず、自分の中にあるはずである。

それを探すために、それを覆い隠しているものを取り去っていく必要がある。

そのためには、まず「気づき」を磨いていこう。

気づきを磨く

自分の中にあるはずの「幸せの指標」を覆い隠している、数々の障害を取り去っていくために、まずはそれらの障害に気づく必要がある。

障害というのは、別の言葉で言えば「癖」である。

人はそれぞれ様々な癖を抱えて生きている。そして生きている中でさらに癖に癖を重ねていって、がんじがらめになっている。

癖には体の癖だけでなく、心の癖もある。先入観、思い込み、ネガティブ思考、過剰な楽天思考、といったものもみんな心の癖であり、ありのままの物事に気づくセンサーを曇らせる原因となっている。

気づきのセンサーを働かせるためには、これまた数々の障害を取り去る必要がある。

どこから手をつけていったらいいのか。意外とそこに気づくのは簡単である。

明らかに、無駄だと思っていることから少しずつ、手放していったらいい。

ただし、実際に手放すことは結構難しい。

長年積み重ねてきた癖は自らの血肉であるかのように思い込んでしまい、なんとそれを手放したくないと思って執着してしまうのである。

「価値観」といったものもそうである可能性がある。

価値観に執着したり、それをプライドを持って堅持したいと思ってしまっている人は多い。

その価値観は、一体どこから得たものなのか。

もしその価値観が、他者との比較によらない絶対的なものであるなら、それは幸せの指標としてふさわしいものである。

そうではなく、他者から得た価値観だったり、他者を意識した価値観だったりするのであれば、手放さなくてはならない。

手放すべきかどうかを判断するには、その癖を客観的にありのままに観察する必要があるかもしれない。

ゴミ捨てと同じである。思い出のつまった大切なものかもしれないが、本当は要らないものかもしれない。なるべく雑念を捨てて、客観的に観察してみれば正確な判断ができる。

たまったゴミを一気に捨てるのは難しい。ひとつひとつ、観察してみればいい。

そして、これ以降は新しいゴミをためないようにしていくことも必要である。

そうすれば、時間はかかっても、確実にゴミは減っていくはずである。

邪魔な癖を取り去って、透明感のある純粋なセンサーを使えば、自分の中にある「幸せの指標」にたどり着くだろう。

気づきを絶え間なく連続させる

純粋なセンサーが使えるようになったら、それを絶え間なく連続して使い続けるようにしなければならない。

一瞬たりとも途切れないように、それをなるべく努力なく連続させられるようにしていく必要がある。

世界も、その一部である心と体も、変化し続けている。

変化に気づくためには、常に観察を続けなければならない。株価のチャートなども間が途切れていたら役に立たない。

「絶対的な幸せの指標」だと思っていたものも、もしかしたら変化してしまうかもしれない。

あるいは幸せの指標は変化しなかったとしても、「今やるべきこと」は世界の状態によって変わるかもしれない。

気づきを邪魔するものも、絶え間なく入ってこようとする。

余計な癖をつくらないように、絶え間なく観察しておく必要がある。

(続く)