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ヨーガマカランダ概説【6】1.5前半 ヨーガを実践する権利のある人

ヨーガマカランダ概説【6】1.5前半 ヨーガを実践する権利のある人

身分制度が根強く残るインドならではの話、ヨーガを実践する権利のある人とは

「現代ヨガの父」ことクリシュナマチャリア氏の主著である「ヨガマカランダ(ヨーガ・マカランダ)Yoga Makaranda」を読み進めていきます。

参考:ヨガマカランダ(ヨーガ・マカランダ)の概要

今回は1.5節前半、ヨーガを実践する権利は誰にあるかという部分です。

引用部分は、特に記載のない限り以下の英語版(2006年)Yoga Makarandaを出典とします。

Yoga Makaranda(無料PDF 3.9MB)

この記事の目次

誰がヨーガを実践できる権利を持つか

1.5節のタイトルは「Who has the Authority to practise Yoga」となっていて、誰がヨーガを実践する権利を持つのかという話が語られていきます。

ヨガをするのに権利がいるの?と、現代の日本人なら思うかもしれませんが、インドには昔から身分制度があって、以下のようなカースト(ヴァルナ・身分)がありました。

  • バラモン(ブラフミン):司祭階級(宗教的支配者)
  • クシャトリヤ:王侯・武士階級(軍事・政治的支配者)
  • ヴァイシャ:農耕牧畜、手工業に当たる庶民階級
  • シュードラ:隷属民・下位カースト

インドでは1950年に制定された憲法でカーストによる差別を禁止したといいますが、クリシュナマチャリア氏の生きた時代(1888-1989)の大半、そしてヨーガマカランダの初版が出版された1934年にはまだカーストは現役で、また現在においてもその影響は根強く残っているようです。

ヨーガは元々宗教と関連の深い行法でしたが、クリシュナマチャリア氏が教えるヨーガは、宗教階級であるバラモン(ブラフミン)だけではなく誰が行えるものであり、全ての身分の人々にとって恩恵のあるものである、ということがここで説明されていきます。

宗教との関連性については、現代ヨガでもたまに議論されることではありますね。エクササイズ的なヨガから入った後、瞑想に興味を持った人は、少なからず宗教や哲学の歴史の一端に触れることになるかと思います。

“Arjuna, one who practises yogabhyasa following yama and niyama is a superior atma to those who are tapasvi, gñani and those who practise nitya naimitya kaamya karma etc. Hence you should follow the yama and niyama and conquer your mind and become a yogi.”

この節の冒頭では、バガヴァッドギーターヴィシュヌ神の化身であるクリシュナが、弟子のアルジュナに語った一節を引用して、改めてヨーガの有効性を語っています。アルジュナの身分はクシャトリヤ(王族・武家)で、彼は弓の名手です。

ヤマ(禁戒・個人的規範)・ニヤマ(勧戒・社会的規範)に従ってヨーガビヤーサを実践する者は、他の行法を行っている者に比べて優れたアートマー(真我)である、と説明されています。

用語:ヤマ yama

用語:ニヤマ niyama

用語:アートマン(アートマー) ātman(ātmā)

Everyone has a right to do yoga. Everyone — brahmin, kshatriya, vaishya, sudra, gñani, strong, women, men, young, the old and very old, the sick, the weak, boys, girls, etcetera, all are entitled to yogabhyasa with no restrictions on age or caste.

ここで、最初の問いに対するシンプルな答えが示されています。

年齢やカーストによる制限は無く、誰でもヨーガを行う権利がある、と。

たとえば日本にも昔は身分制度があり、特定の身分の人々によって庇護され広まった教えもありました。身分の差がある世界において「誰でもヨーガを行う権利がある」という言葉は、現代の多くの日本人が想像する以上に意味のあることだったと思われます。

ヨーガを行うのに向いている人

身分や年齢に制限はないとは言いましたが、その後に、どんな人がヨーガの実践に向いているかについて列挙されています。

Those who are eager to learn good skills, those who can learn to control their senses and are peaceful by nature, those who speak the truth, who wish to serve their guru, who are devoted to their mother and father, who do karma according to the sastra, who are clean, who love bathing in the Ganga, who follow their caste dharma, who are modest and patriotic, who have pride in their family, all these people are good vessels for yoga.

和訳すると、以下のようになります。

  • 良い技術を熱心に学ぶ人
  • 感覚を制御することを学べる人
  • 生まれつき平穏な人
  • 真実を語る人
  • グルに仕えたいと願う人
  • 両親に献身的な人
  • シャーストラ(聖典)に従ってカルマ(定められた行い)を行う人
  • 清潔な人
  • ガンジス川での沐浴を愛する人
  • カーストのダルマ(義務・美徳)に従う人
  • 謙虚で愛国心のある人
  • 家族に誇りを持つ人

たくさん書かれています。「このような人に向いている」というものもあれば、「このような人でありなさい」という意図もあるように思えますね。

If the guru, following the correct path and method, advises such people and makes them practise in front of him, they will quickly become adept. The readers should remember this very well. You will not become a skilled yogi just by putting on the costume and faking it.

それっぽいヨガウェアを着て偽っても、技術のある本物のヨーギーにはなれないということですね。

師匠に従って、正しいやり方で真剣に実践すれば、”すぐに”熟達することができる、と説明されています。

心と体とアートマーを、等しく大切に扱うべし

「誰がヨーガを実践する権利を持つのか」という見出しで始まった1.5節ですが、誰でも大丈夫ですよ→こういう人が向いているよ→ヨーガを実践する者はこうあるべし!という感じで、話はエスカレートしていきます。

こうあるべし!という話の延長で、この節の後半では、心と体とアートマー(真我・魂)に関する話が、そこそこ長く語られています。

アートマー(アートマン)というものは、言葉で説明するのが難しい概念ではありますが、ヨーガでは「真我」などと訳されます。

ヨーガでは、体も心も真我にとっては道具のようなもので、この世界を映し出し、感じ取り、行動するための乗り物のようなものと考えます。ひとまずは、それらの乗り物を操っている「魂」のようなものと捉えても良いかもしれません(魂、霊、ソウル、スピリットといった言葉も、定義が難しいものではありますが)。「心」こそが「自分」だと思いこんでいると、これを理解するのは難しいでしょう。

用語:アートマン(アートマー) ātman(ātmā)

「魂」は「心」を用いてこの世界を感じ取ろうとしますが、「心」が曇っていたり歪んでいたりすると、映りの悪い粗悪な鏡を使って世界を映し観ているようなもので、物事を正しく感じ取ることができません。そのためヨーガによって、鏡を歪ませている煩悩・雑念を手放していき、最終的に心の働きを止めて波のない静かな湖のようにし、ありのままを映し出せるようにしていくことになります。

参考:ヨーガスートラ解説 4.25-4.28 〜煩悩を除去し、識別知を得る〜

Yoga practitioners initially have to take special care of their mind and body. Even if one is initially a little careless about the atma, this will not create problems. But as he proceeds in the practice, the practitioner has to pay equal attention to the mind, body and atma. Both the body and the mind have equal relation to the atma. The body is called the jadam. Jadam is that which is senseless or has no cognitive abilities. “Siryate iti sariram”: according to this definition, the body is that which will decay someday.

ヨーガ実践者も最初のうちはアートマーにはあまり注意を向けたことがないかもしれないが、心と体とアートマーへ等しく気づきを向けられるようにしていくべしといいます。

肉体は「Jadam ジャダム」と呼ばれるもので、それ自体には「認識能力」がなく、いつか朽ち果てるものであるという説明があり、認識している主体はアートマーであるということになるでしょう。

jaḍaの意味を調べてみましたが、実に様々な訳があり、ここで用いられているように「感覚能力の無い」「物質」といった意味や、「知性の無い」「固い」「麻痺した」「冷たい」「怠惰な」といった意味も含まれているようです。このあとに続くアートマーの説明に関する文章にも出てきますが、肉体は粗大なジャダムであり、心は微細なジャダムであるといいます。

The mind (primary atom) is so subtle that it is like a miniscule atom compared to an atom and its nature is oscillating. We can know that the body has a certain nature, but we cannot easily determine the nature of the mind. But with difficulty, you can learn to know your mind. Through dharana and dhyana it is possible to know your mind but it is very difficult to see the atma through these methods. But through the strength of the practice of pranayama, once you stop the oscillating nature of mind you can reach the level of dhyana, nididhyasanam, and samadhi, and through that you can see the atma.

ヨーガでは、心も「物質的なもの」として考えます。それは微細で原始的な原子であり、振動しているものであると説明されています。

肉体に比べると心を理解することは難しいが、1.3節に出てきたダーラナー(集中)とディヤーナ(瞑想)によって心について深く知ることができ、プラーナーヤーマ(呼吸法・気の制御)の実践によって心の振動が止まることでサマーディ(三昧)に至ると、アートマーを観ることができるようになる、といいます。歪みや曇りのない心という綺麗な鏡を使って、ようやく自分の姿を観ることができるようになる、というようなイメージです。

すでに節の見出しのテーマからはだいぶ外れていますが、このあとさらにアートマーに関する説明が続いていきます。

次記事:(執筆中)

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