梵:आत्मन् ātman、आत्मा ātmā
英:self, soul, spirit
日:アートマン(アートマー)、個我意識、魂、霊、真我
アートマン(アートマー)の意味
アートマン(アートマー)とは、「私」という意識。肉体を含む各体を統べる「真我」を表す。
アートマーātmāという表記と、アートマンātmanという表記が見られる。
しばしばプルシャ(真我)と同様な意味で用いられる。
selfとSelf
自我を表すセルフという言葉を、小文字で始まるselfと大文字で始まるSelfで区別する場合もある。
この場合、大文字で始まるSelfはTrue Self(真我)を表し、それがアートマーを示すことになる。
アナートマン
真我ならざるものを、アートマンの否定としてアナートマンと呼ぶことがある。
真我ならざるものを「私」と誤認することがアヴィディヤー(無明、無知)であり、全ての煩悩の元となる。
人それぞれ異なる煩悩を、ひとつひとつ手放していくことによって、真我に気づく。そのために、様々なヨーガの道が用意されている。
アートマンとヨーガ
ヨーガスートラにおいては、冒頭からアートマンが定義され、世界を「観る者」、唯一の「主体」として存在するとしている。
そのアートマンと「私」の意識が合一しているときは、ただ純粋に世界を観ることができるが、そうではない状態のときは、世界に巻き込まれた状態で曇った感覚で世界を観ていることになる。
多くの人々は、肉体のみを「私」であると誤認しており、全ての煩悩の元であるアヴィディヤー(無明、無知)に囚われているため、世界を正しく観ることができていない。
ヨーガスートラは、主に瞑想によってこの無明にいたる数々の障害(クレーシャ)を払うための道を説いている。
ハタヨーガをはじめとした身体を用いたヨーガも、現代人にとってはわかりやすい道である。その行き着く先は同じであり、人それぞれに合った道を選ぶ。ただしハタヨーガなどの密教的な道においては、進め方を正しい師匠に教わるのが安全であろう。
ブラフマンとアートマン
全てが一つのブラフマン(至上我・宇宙意識・梵)であった状態から、個別意識が分かれ、様々な存在がつくられた。
物質世界の肉体や心なども全て幻(マーヤー)であり、真我でないものを私であると誤解する無知(アヴィディヤー)から、様々な煩悩(クレーシャ)が生まれる。
煩悩を一つ一つ手放していくことで、アートマン(真我)を悟り、そしてブラフマンを悟ることができる。
全ては一つであると悟った境地を、「梵我一如」などと呼ぶ。
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