セルフケアの原則
心構え
このセルフケア論は、自分自身の責任において治療やステップアップのために必要であると判断するならば、色々なことを試し実験していくことをすすめている。
様々な健康法・治療法・医療・薬品・宗教・哲学を否定するものではなく、また恣意的にひとつの道へ導こうとするものでもない。
人生をかけたその実験に必要なものは、「気づき」である。多種多様な道の中から、必要と思われるものを判断し、正確に試し、結果をありのまま観て、次の実験へと向かっていく、その繰り返しである。思い込みや執着は、その気づきを妨げるため、手放していく必要がある。
その実験の旅で得られたものは、自分自身だけでなく、大切な誰かを癒やすヒントにもなる。
病気や不調の根因
- 「偏り」が慢性化すると、病気などと呼ばれる症状として現れる。バランス感覚を保ち、偏らないように振る舞えば、病気は現れず、清々しく生きられる。
- 無意識的に起こってしまう「偏り」は、すなわち心身の「癖」であり、根因は肉体だけでなく感情(欲望)や思考にもある。肉体だけに執着してはならない。
- 「偏り」の根源は二元性である。物質世界にあるもの全ては「偏り」によって存在し行動するのであり、偏りそのものは悪ではなく必要なものである。私たちは偏りの状態をつくりださなければ存在できないし、一歩も歩くことはできないであろう。存在する限り、「有無」という二元性に囚われ続ける。
- 現代の社会は「勝ち・負け」「金を持っているか・持っていないか」という二元性に強く支配されている。バランスの取れた生き方をするには、二元性から少しずつ脱するようにしていく必要がある。
「私(セルフ)」についての思い込みを手放す
- 「肉体」や「心」だけが「私」であると思い込んでいると、それらを変えていくのは難しい。変えていくには、それらを指揮監督する本来の「私」の意識から行われるのが自然であろう。
- そんな「私」が本当にいるのか?という疑問も当然生まれるが、我々は肉体や心を客観的に観察することができ、少なからずコントロールすることができるというのがひとつのヒントである。それをしている「主体」がいるはずである。
- 「偏り」を正すには、下記に示すような「私」の層構造の概念がひとつのヒントとなる。「肉体」や「心」は「私」が纏っている体・乗り物・道具といったものであり、それらを本来の「私」であるいわば「魂」の意識の指揮のもとに、各体を整えていく。
思い込みを手放す鍵(変性意識状態への入り方)
思い込みを手放すためには、論理で抑え込むのではなく、「自動的に切り替わる」ための鍵を知っておくのが有効である。これらは自律神経にも深く影響している。
変性意識状態に入ると脳波が切り替わり、夢を見ているときのように、常識にとらわれない思考ができる。暗示がかかりやすいとも言えるため、明晰な気づきを伴った上でうまく活用する必要がある。
- 呼吸をゆっくりにする(1呼吸に最低10秒以上つかう)
- 周辺視野を使って全体を観る(普段は集中して中心視野だけに偏りがち)
- 眉間を見上げる(シャーンバヴィー・ムドラー)
- 鼻先を見つめる(ナシカグラ・ドリシュティ)
- 目を動かして左右をしっかり見る(ポリヴェーガル理論)
- マントラ(真言)やお経を唱える
「私(セルフ)」とはなにか
- 「私」を現すものは、肉体だけではなく、層構造になり重なり合っていると考えると便利である。それが科学で証明できるかなどは別として。
- 形をもつ体としては、肉体・生気体(エーテル体)・感覚体(アストラル体)・意識体(メンタル体)・魂体(コーザル体)などが存在し、さらに高位には形をもたない意識が存在すると考えられることが多い。学派宗派によって呼び方や分類は様々であるが、ひとまず肉体だけに執着せず層構造を意識することは、心身の根本的なセルフケアにおいて役に立つ。
- 各体は影響しあっていて、高位になるほど変化は速い。肉体が変わるのは少し時間がかかるが、心は良くも悪くも一瞬で変わる。便宜上「高位・低位」と称するが、それぞれが影響し合うので重要度に差はない。どこからでも偏り、どこからでも整う。
「私(セルフ)」の目的とは
- どのように考えても良い。「今やるべきこと」にさえ”常に”気づいていれば。
- 「なにかを成すために、なにかを経験するために、わざわざ不自由な分離の極致である肉体を持って生まれてきた」と考えるのもひとつの道である。物質世界が生まれる前の、元々一つであったときには、愛し合うことすらできなかった。
- あるいは、「生まれた理由も、今やるべきことも何もない、全てはただの偶然だ」と考える道を選ぶこともできる。それならば、全ては自由である。一番やりたいことをやればいい。それは結局、「今やるべきこと」と同じかもしれない。
- 全てを楽しみ、全てに感謝し、全てを謙虚に経験とする。そのような姿勢で”常に”いられれば、二元性から脱し、清々しく生きることができる。全てがプラスなら、プラスもマイナスもない。全てが好きなら、好きも嫌いもない。
「偏り」の例
肉体の偏り例
- 姿勢、重心などが偏る。
- 同じ姿勢で居続けることで偏る。
- スマホなど近距離・一箇所だけを見続けることで偏る。
気(生気体・エーテル体)の偏り例
- 同じ方向・場所に意識を向け続けることで偏る。気は意に従う。
- 同じ場所に居続ける、同じ人と関わり続けることで偏る。
感情(感覚体・アストラル体)の偏り例
- 偏った好みを持ち続けたり、執着し続けたりすることで偏る。
思考(意識体・メンタル体)の偏り例
- 思い込み、偏見などの思考の癖によって偏る。
偏りを解消する方法
高次の意識においては、偏りがない。そもそも個別意識がなく、一体となっている。
そのため、各体の偏りを整えるには、高次の意識に「焦点」を置き、委ねる。
意識の焦点を正しく置くことで、各体は「自動的に」整っていく。思考のレベルで「整えよう」などと思うと、それは雑念となって邪魔になる。
その具体的な方法としては、論理や物質的刺激などを用いると雑念を誘発するので、「頭上に白蓮華を観想して、滴り落ちるしずくが各体を包み潤していくようにイメージする」といったような観想法や、図形(ヤントラ・神聖幾何学など)、音や振動、色、真言(マントラ)などが用いられる。自分に合ったものを選ぶか、信頼できる師に授かると良い。
道を選ぶのは自分の責任であり、気づきを磨いて、注意深く「今やるべきこと」を判断することが大切である。
とはいえ、なかなか難しいという場合は、まず整える一歩目として、以下のようなヒントを用いてみるのもひとつの手である。
魂を整える(元々整っていることを思い出す)
魂は肉体を纏うことによって、物質世界で様々な経験を得ようとしていると考えると、その本質は「謙虚」である。すべてを経験とし、楽しむ。
また、さらなる高次の意識としては、魂として生まれたことへの「感謝」である。「私」という意識が生まれ、様々な経験ができるすべてに感謝の心を持ち続ける。
思考を整える
思考が整った状態に向かうヒントは、「純粋」である。
純粋に、「私」は何をするべきなのか?何をするために生まれたのか?「知足(サントーシャ)」の行もひとつのヒントとなろう。
感情を整える
感情が整った状態に向かうヒントは、「無執着」である。
なにごとにも、なにものにも、執着しない。執着が偏りを生み、慢性化して癖となり、肉体の病気として現れる。
気を整える
気が整った状態に向かうヒントは、「調和」である。
肉体は、空気や他の生物や鉱物など、すべてのものから気(エネルギー)をいただいて存続している。肉体は分離の極地ではあるが、本質はすべてとつながっているのだということを悟ることで、エネルギーの交流が生まれる。
もちろん地球ともつながっているし、太陽ともつながっている。
症状別セルフケア論
基本的なセルフチェック・セルフケア
ドーシャ診断・アーユルヴェーダ体質チェック(ヴァータ・ピッタ・カパのバランス)
心身の変化に気づく、セルフチェック法 〜自律神経・メンタルへのマインドフルネス〜
肩こりに関するセルフケア
肩こりの主な原因は、「姿勢が悪い」「不要な力みがある」「心のストレス、防衛反応」といったものがある。それぞれについて具体的に解説していく。
睡眠不足・睡眠の質に関するセルフケア
近視・乱視・老眼などの視力異常に関するセルフケア
うつ病に関するセルフケア
体系的にまとめるには至っていないが、近年流行りのポリヴェーガル理論やソマティックなアプローチという原理を考えるに、私のヨガのアプローチには共通する部分が多い。
今後も研究を続け、これらの理論もふまえながらまとめていきたい。
研究の軌跡_20240710 ポリヴェーガル理論とソマティクス
(執筆中、随時公開)