オンラインレッスン ヨーガスートラ日本語訳
ヨーガスートラとは 〜現代ヨガの重要教典・心の扱い方・瞑想の教科書〜

ヨーガスートラとは 〜現代ヨガの重要教典・心の扱い方・瞑想の教科書〜

雑念を払い、心を一点に定めるための実用書

現代ヨガにおいて、重要な教典の一つとされているヨーガスートラ(ヨガスートラ)

名前は聞いたことがあるという方もいるかと思いますが、一般的なヨガスタジオに通っていても、ヨーガスートラについて聞く機会は少ないかもしれません。

ヨガの教典とはいえ、アーサナ(ヨガポーズ)についてはほとんど具体的には書かれていません

ヨーガスートラには主に、自分の「心」をうまくコントロールする方法が書かれています。

ヨガは元々、瞑想を主とした「心の科学」だったと言われています。

とはいえ、心と体は深い次元でつながっています。アーサナがうまくできないとき、ヨガの哲学に触れることで心が整い、結果として体もうまく扱えるようになっていきます。

そのため、体を整えることを主目的とした現代ヨガにおいても、ヨーガスートラはとても実用的な教典と言えるかと思います。

全体的に難しい内容かもしれませんが、ひとまず、現代人に役立ちそうな部分から紹介していきます。

私なりに日本語訳と解説をまとめたものは下記のページに一覧でまとめてあります。

ヨーガスートラ日本語訳・解説一覧

この記事の目次

ヨーガスートラの概要

4章196節(または195節)のサンスクリット語の詩から成る、ヨーガスートラ。

編纂されたのは紀元後4〜5世紀、編纂を行ったのはパタンジャリ氏と言われています。

パタンジャリが一人の人間であったのか、それとも複数の人間であったのか、あるいは「半分は神様」のように描かれることもあり、そのあたりは定かではないようです。

アシュタンガヨガのレッスン冒頭で唱えられているマントラにも登場しますが、「サハスラ シラサム シュヴェータム(千の輝く頭を持つ)」などと描写されています。「アシュタンガヨガ」とはもともと、ヨーガスートラで示されている「ヨガの8支則」を実践するヨーガのことを示します。

参考:アシュタンガヨガとは、どんなヨガ? 〜効果・目的・始め方〜

ヨーガスートラは、主に心を扱うヨガである「ラージャ・ヨーガ」の教典とされています。あるいはサーンキャ・ヨーガ、古典ヨーガの教典と位置づけられることもあり、また前述のように8支則を実践すること自体はアシュタンガヨガ(アシュターンガ・ヨーガ)と呼ばれることもあります。

「ヨーガ」という言葉の意味はいろいろ解釈がありますが、この場合は「道」「行法」といった意味と捉えると良いでしょう。心をうまく扱うために、いろいろな「道」があるということです。

ヨーガスートラの目次・構成

ヨーガスートラは4章ありに分けられていて、目次は以下のようになっています。

  • 第1章 サマーディ・パダ 三昧部門
  • 第2章 サーダナ・パダ 実修部門
  • 第3章 ヴィブーティ・パダ 成就部門
  • 第4章 カイヴァリヤ・パダ 絶対部門

それぞれの内容については次記事以降で説明していますので、ここでは全体の構成と読み進め方について簡単に書いておきます。

「サマーディ(三昧)」というのがヨーガのゴールとされていて、第1章ではそのゴールについてまず説明されているのですが、ここがまずとても難解だと思う人も多いかと思います。

もし第1章がどうにも読み進められないという場合は、第2章から読み始めてみるのも良いかもしれません。

第2章では、ヨーガの道のひとつとして広く知られている8支則(アシュタンガヨーガ)が出てきて、具体的な実践について書かれているので、ひとまず何から始めたらいいのかが垣間見えるかと思います。

私も最初に読んだときは、第1章があまりに難解で、8支則は他の機会に学んでいたので第2章のほうが少し親しみやすく、第2章から読み始めたりしていました。

第3章では、8支則の最後の3つ(集中・瞑想・三昧)について特に詳しく述べられています。

第4章では、ヨーガ哲学に用いられる概念がたくさん出てくるのでこれもまた難解ですが、どのようにヨーガのゴールに至っていくのかをより詳しく説明しています。

ヨーガスートラの基本(サーンキャ哲学)

ヨーガスートラは、サーンキャという哲学に基づいて、心を落ち着けるための様々な方法を具体的に述べています。

哲学というのはひとつの考え方なので、もしサーンキャ哲学に納得できなければ、自分が納得できる別の考え方を用いれば良いのです。ヨーガの中にも、過去いろいろな考え方が生まれました。

ヨーガの大分類については、下記の記事にまとめてみましたので参考にしてみてください。

ヨーガの分類(ジュニャーナ・バクティ・カルマ・ラージャ)

サーンキャ哲学は二元論的多元論などと言われ、真の自分「真我(プルシャ)」と、それ以外の世界や現象「自性(プラクリティ)」を分けて考えます。

自性は物質も精神も全て含み、「心も体も自性」です。
真我は、自性を「純粋に観ている」だけです。

つまり、心も体も「真の私」ではないとして扱います。

この時点ですでにしっくりこない人も多いかもしれませんが、読み進めていくと、そのように考えたほうが心をうまく扱えるということが分かっていきます。

しかし厄介なのは、「私」は「心」を介してしか世の中を観ることができません。本当の自分自身である「真我」をも、「心」を介して観ます。

つまり「心」は鏡のようなもので、それが曇っていたり歪んでいたりしては、物事を正しく捉えられず、また自分の真の姿を知ることはできないのです

そのため、ヨーガスートラは一貫して「心の働きを止める」ということを目指します。

「心の働きを止める」への違和感を払ってから読み進める

ヨーガスートラの冒頭で、ヨーガのゴールが示されますが、そこには「ヨーガとは心の働きを止めることである」(訳し方は様々です)と示されています。

「心の働きを止める」というと、なんだかこわい気もします。何もなくなってしまうのでは?死んでいるのとなにが違う?などと思ってしまいます。

それは、私達が「心が自分」だと思っているからです。この基本を誤解していると、そこから先に進めなくなってしまいます。

心は真我を映す鏡であり、いろいろなものを知覚するための「借り物の道具」のようなもの。

心を曇りなく歪みなくしていくことで、本当の自分が見えてきて、本当にするべきことや生きがいといったことが湧き出てくる、というように考えると良いかと思います。

また真我だけではなく、いろいろな物事や世界が、歪んだフィルターを通してでなく本質的に観られるようになっていきます

気づき(マインドフルネス)が磨かれ、本来持っている智慧(知識などとはちがうもの、地頭力といったものが近いかも)が現れ、日常生活や仕事などにおいても有効な心理状態になっていくことができます。

とはいえいきなり「心の働きを止めろ!」と言われても、難しい。

いろいろなゴミがたまった部屋から、全部捨てようと思っても、まずは要りそうなものと明らかに要らないものを分ける必要がありますね。

そのため、パタンジャリさんは「心の働き」をいろいろな形で分別してくれます

あるいは、これこれをやっていれば自然と心が一点に定まっていくよ、という具体的な方法を教えてくれます。

次回、ヨーガスートラ全体の構成につづきます。

次記事:初心者向けヨーガスートラの概要・前半(1章・2章)

参考書籍

 

男性ヨガインストラクター 高橋陽介の写真

by 高橋陽介

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