クンダリーニヨガ(クンダリニーヨーガ)に関する研究をまとめるページ(随時更新)。
まず一般的に伝わっている知識からまとめていき、私の体験も公開できる範囲で紹介していく。
クンダリニー覚醒の行法について体系的に知りたい場合は、サティヤナンダ氏のクンダリニーヨーガの行法を紹介した連載記事を参照↓。
連載記事:「クンダリニー・タントラ」を読む
チャクラに関する研究についてはこちら↓。
参考:チャクラの研究まとめ
この記事の目次
クンダリーニヨガ(クンダリニーヨーガ)を学ぶ上での、基本的な心構え
こういった神秘的なことを伝える文章を読む際には、「著者が実体験したことを伝えているのか」「外部から得た情報を伝聞しているのか」というところを明確に判断しながら読み進める必要があると思われる。
ここでは、まず一般的に流れているクンダリニーに関する情報をまとめるので、これは「伝聞」であり、そのような文体で書く。
その後、実体験を元にした情報を書いていくが、その場合は参考文献などが挙げられない場合もあり、断定的になってしまうこともある。実体験や直観に基づいて伝えられる情報に対し、科学的に裏付けしようとするかどうかは読み手各々の判断であり、解釈は各々の気づきに委ねられる。ただ、現代の科学が表現できるのは、世界のほんのわずかな一面にすぎない。
なぜクンダリニーが重要なのか?
生物は進化を遂げてきた末に人間になったというが、それでは人間は進化の最終形態なのか?
人間がさらに進化すると、どうなるのか?といったことを論じる際に、クンダリニーがその進化のきっかけとして挙げられることがある。
たとえば感覚に関しては、人間には五官で感じられること以外にも様々なものを感じ取る力が本来備わっている。
しかし視覚情報に偏重している現代人は、物事の本質に気づく感覚が非常に弱まっている。視覚偏重になった末に視覚が発達したかというと、むしろ多くの人が近視に苦しんでいる現状である。さらに、脳の中には使っていない部分が90%あるとも言われている。
クンダリニーやチャクラといったものが、そういった眠っている力を呼び覚ますきっかけとなり、今まで気づかなったことに気づけるようになり、その高次元の気づきが進化へとつながっていくと言われている。
クンダリニー(クンダリーニ)とは
クンダリニー(クンダリーニ)の概要
用語辞典:クンダリニー(クンダリーニ)
骨盤底にあるムーラダーラチャクラにおいて、3回半とぐろを巻いて眠っている蛇として描かれるエネルギー(3回半の意味するところの考察は後述)。
クンダリニーが覚醒すると、身体の中央(脊椎に沿っているという説もあり、中央であるという説もある)にあるスシュムナーナディに沿って昇っていき、各チャクラを賦活しながら、頭頂のサハスラーラチャクラへ達すると言われる。
スシュムナーが浄化されれば自然とのぼっていくため、このスシュムナーそのものがクンダリニーであるという考え方もある。
クンダリニー(クンダリーニ)表記と別名
कुण्डलिनी, kuṇḍalinīという表記が一般的で、カタカナに直せば「クンダリニー」であるが、「クンダリーニ」という表記もよく見られる。
ハタヨーガプラディピカーなどにおいては、kuṇḍalī(クンダリー)という表記も見られる。
日本には軍荼利(ぐんだり)明王という名前として伝わり、五大明王の一尊として南方に配される。
女性的なエネルギー、創造的エネルギー、蛇のエネルギー(サーペントパワー)などを表す「シャクティ」という名前でも呼ばれる。
(余談だが、スターウォーズにはシャク・ティという名前の、蛇のような頭をした女性のジェダイマスターが登場する。)
クンダリニー(クンダリーニ)とは何か:サティヤナンダ氏の解釈
クンダリニーは脊柱基底に眠るエネルギーであり、「オーガズム(オルガニズム)」のエネルギーであると説明している。
アーサナ(ヨガポーズ)や呼吸法・瞑想などを実践して準備した上で、結果的にクンダリニー覚醒のきっかけとなるのは「プラーナ(気)」をクンダリニーの座(ムーラーダーラチャクラ)に流し込むことであると示している。
クンダリニーが覚醒すると、中央のスシュムナーナディを駆け上がり、脳に到達する。その上昇の過程で、中央に縦方向に並んで存在する複数のチャクラを通り、それらが脳の眠っていた領域の関係性を作りだし、秘められていた脳の機能を目覚めさせ始めると説明されている。
参考:「クンダリニー・タントラ」を読む【6】第1章 2節前半:クンダリニーとは何か
クンダリニー(クンダリーニ)とは何か:神智学の解釈
神智学では、太陽から届く無数の力の中で、「フォーハット」「プラーナ」「クンダリニー」という3つの力について述べている。
フォーハットはいわゆる電気や熱といった私達にとって一般的なエネルギーであり、熱と電気などは相互に変換が可能である。
しかしフォーハットとプラーナ(活力)とクンダリニー(蛇火)は、相互に変換することはできないと定義している。
クンダリニーについては、神智学大要 第1巻13章に述べられている。
参考書籍:神智学大要 第1巻 エーテル体/アーサー・E・パウエル(編) 仲里 誠桔(訳)|書籍紹介
神智学でも定義されるエーテル体・アストラル体・メンタル体などの7つの体それぞれの次元にクンダリニーは存在し、脊柱基底に眠っている。まずエーテル体の次元から順番に、クンダリニーが各次元で覚醒することによって、各体が賦活されていくと説明されている。
その覚醒の方法や、各チャクラを上昇させていく順番は、各個人によって異なると明記されている。
クンダリニー(クンダリーニ)とは何か:イツァク・ベントフ氏の解釈
サティヤナンダ氏のクンダリニー・タントラの中でも名前が出てきた、物理学者イツァク・ベントフ氏の本にも、クンダリニーについて興味深い考察が書かれている。
氏の解釈によれば、クンダリニーは「究極のストレス発散機構」であるという。
ストレスの蓄積している器官にクンダリニーが上昇して到達すると、特有の症状が現れ、そのストレスが発散されるまでそこにクンダリニーはとどまり、症状が続くという。ストレスのある場所は人それぞれもちろん異なり、それのない人にとっては、クンダリニーが通過しても何も起こらないように感じるという。
ストレスそのものについては、電流や帯電といった物理的な現象を交えて解説している。
参考:研究の軌跡_20231006_2 物理学者イツァク・ベントフが書いた、意識を変えるための良書
クンダリニー(クンダリーニ)とは何か:私の感覚
ベントフ氏の解釈にはとても共感するところがあり、私の場合は手やみぞおちなどのストレスの溜まっているところに電気的な刺激を感じ、特にスマホを使う左手の親指には強い静電気のような刺激がある。
最初にそれを感じたときは、みぞおちに向かって意識が流れ落ちていくような感覚があり、気絶するような、このままでは死ぬというように感じた。
怖々とその発散を1ヶ月ほどの間に何度か行っていると、少しずつその感覚が弱くなり、一度「発散」するとしばらく起こらなくなり、少し時間を置いてから行うとまたそれが起こる、ということを続けていた。
クンダリニーは、覚醒すると独自の意志を持って動き始め、帯電している器官を解放しながら移動していくように感じられる。しかしそれも意志の力でコントロールできるようになっていく。覚醒のきっかけになるのは様々な要因が考えられ、私は意識の集中やプラーナーヤーマをよく用いている。
チャクラとは
用語辞典:チャクラ
用語辞典:ナディ(ナーディー)
「円」「円盤」「車輪」「渦」などを示す言葉。この言葉からは、円形の回転するものが想起される。
エネルギーが出入りする、体表付近にある渦として認識される場合もあり、脊髄内にあるエネルギーセンターとして認識される場合もある。同じ「チャクラ」と呼ばれることのあるものであるが、これらは別のものであるとも考えられ、体表のものをクシェートラムと呼ぶ場合もある。
チャクラは肉体上ではなくエーテル体やアストラル体などの微細身に存在するものであるが、肉体上では内分泌腺として現れているとされる。内分泌腺との関係などは、チャクラの研究まとめのページを参照。
チャクラの覚醒とクンダリニーの関係性
チャクラとクンダリニーの関係性については、以下の2つの考え方があるようである。
- クンダリニーが覚醒し中央のスシュムナー・ナディを通って上昇していくことによってチャクラが覚醒していく
- 各チャクラが覚醒することで、クンダリニーが上昇することができる
似ているようであるが、覚醒法の主体をクンダリニーに置くのか各チャクラに置くのか、それぞれ異なる立場になると思われる。
前者の立場の場合は、各チャクラへのアプローチよりもクンダリニーの座であるムーラーダーラ近辺へのアプローチや、ヨーガスートラのラージャヨーガのように瞑想の末にサマーディに至る道や、ムーラーダーラへは直接アプローチせず頭上の白蓮華を観想する方法などが存在する。
後者の立場の場合は、ハタヨーガに代表されるような各チャクラへの意識の集中や、ビージャマントラの詠唱や、特に低位チャクラの場合はチャクラ付近のインナーマッスル(骨盤底筋など)の収縮などの行法が用いられる。
「クンダリニー」の著者であるゴーピ・クリシュナ氏は各チャクラについてそれほど重要視はしておらず、クンダリニー覚醒時に各神経叢に電流が流れることで、発光したように感じられ、その様子がまるで蓮華のようであるから、それらがチャクラと表現されたのではないかと解釈している。ゴーピ・クリシュナ氏の行法では、各チャクラへのアプローチは行っておらず、ただ頭上の白蓮華を観想する行法のみを続けていたと書かれている。
参考:チャクラの研究まとめ
クンダリニー覚醒の危険性
「振動」「衝撃」などの要素によって、条件が整えば「自動的に」動き始める。
尻もちをついて尾骨に衝撃があったときに覚醒してしまったという例もあるようである。
「自動的に」という点では、あくびやくしゃみなどの自律神経的な作用や、性的なオーガズムと似ている。
そのため、未熟な状態で覚醒してしまうと、心身が制御不能になり、悲惨な結果を招く可能性が高い。
慎重に、心身の準備を整える行法から進めていく必要がある。
あくびやくしゃみは、出そうになっても、強い意志と力があれば止めることもできる。また、意図的に出すこともできる。これもまた心身のコントロールの重要な鍵である。
強くて柔軟な身体、揺るがない心、クンダリニー覚醒を目指す前に多くの準備が必要であり、それは現代ヨガやマインドフルネス瞑想といった現代に広く伝わる技法も十分有用である。
クンダリニー覚醒に関わる要素
振動(リズミカルな刺激)
「リズミカルな刺激」がひとつの鍵を握る。
刺激には、バンダのような筋収縮、外部からの圧や衝撃、イメージ、音・声(マントラなど)、光や色などの刺激、電気や磁気など様々なものが用いられる。
「適切な刺激と適切な振動を繰り返すと、自動的に訪れる」という点は、性的なオーガズムに近いものがある。
らせん・回転・渦
クンダリニーの上昇やチャクラの活性化などにおいて、回転・渦といった要素が大きく関わってくる。
クンダリニーを導くために、らせんのイメージを用いることが多い。「3回半のとぐろ」も、らせんを暗示している表現と思われる。チャクラや経穴を活性化したり邪気を出したりする際にも、渦のイメージがよく用いられる。
しかし、たとえば「左回り」の回転をイメージせよという指示があった場合、どの方向から見て左回りなのか?という指示がない場合も多く、解釈によっては真逆の行法をしてしまうことになる。
実際にらせん・渦のイメージしてみると、エネルギーが進んでいく方向が感じ取れるはずなので、言葉の情報を鵜呑みにせず、慎重に感覚を磨きながら行法を行うと良い。
回転の方向とエネルギーの進行方向の関係は、「右ねじの法則(時計回りの回転によって、前進する方向へエネルギーが流れる)」が適用されることが多いようであるが、「男女で逆である」「チャクラによっては逆である」など様々な説がある。
台風の渦のように、北半球と南半球でコリオリの力によって逆になる可能性もあるのか?ネジの向きは、右回しが主流のようである。それはそれで、昔決めたからそのままというだけかもしれないが。
「意志(イメージ)」の力を「磁力」であると解釈するのであれば、「電流(エネルギー)」は右ねじの法則に従うのが自然のように思えるが、様々な要素が関係するようであり、慎重にエネルギーの流れを感じ取る必要がある。
らせんや渦のような意識の流れを潜在的に導くために、図形や立体を用いた観想法もよく用いられる。ヤントラや神聖幾何学のような図形を観るだけで心身に変化が起こるのは、そのような原理も関係するのであろう。
3回半のとぐろに関する考察
クンダリニーは3回半のとぐろを巻いた蛇として描かれるが、これの意味するところを考察してみる。
とぐろを巻いているということから、らせんのイメージを用いて観想することが示唆されているように思われる。
その場合、各チャクラを交差しながら通るイダー・ピンガラーを連想させる。
平面的に交差しながら上に進む正弦波のように描かれることが多いが、これは立体的にらせんを描いているということになるのだろう。その場合、1回転すると2つ上のチャクラの高さに到達することになる。
そう考えると、3回で6つ上、つまり第1チャクラからスタートしたとしたら、3回転で第7チャクラに到達することになる。
それではあとの半回転はどういう意味か。これは頭上の第8チャクラへの到達を意味している可能性もある。
白蓮華を頭上にイメージすることで覚醒したゴーピ・クリシュナ氏の行法などを考えてみても、頭上のチャクラの存在は重要なのかもしれない。
あるいはシンプルに3.5×2で7つのチャクラの存在を表しているだけかもしれない。
サティヤナンダ氏の書籍に、以下のような3回半の解説がある。
The meaning of the 3 1/2 coils of the serpent is as follows: The 3 coils represent the 3 matras of Om, which relate to past, present and future; to the 3 gunas: tamas, rajas and sattva; to the 3 states of consciousness: waking, sleeping and dreaming; and to the 3 types of experience: subjective experience, sensual experience and absence of experience. The 1/2 coil represents the state of transcendence, where there is neither waking, sleeping nor dreaming. So, the 3 1/2 coils signify the total experience of the universe and the experience of transcendence.
KUNDALINI TANTRA p.14
ここでは回転方向については述べられていない。この解説によれば、「3」には以下のような意味があると言われる。
- 3回のOmを唱える時間(マートラ)→過去・現在・未来
- トリグナ(タマス・ラジャス・サットヴァ)
- 意識の3つの状態(起きている・寝ている・夢をみている)
- 3つのタイプの経験(主観的な経験、肉体的な経験、経験のない状態)
「1/2」は、以上の3にとらわれない「超越」の域を表すという。すなわち3回半は、「起きている・寝ている・夢をみている」という3つの状態と、それらを超えたすべての経験を意味するとされる。
あまりここに関する詳細な解説をしている資料は少ないようだが、研究中である。クンダリニー行法を探る上で、3回半のらせんの意味は考えてみる価値はあるかもしれない。
その他のイメージ
らせんや渦のような形象のイメージだけでなく、白蓮華を頭上にイメージしたり、守護仏を観想するなどしていると、自動的にクンダリニーが動き出す。
ゴーピ・クリシュナ氏などは白蓮華を観想していたときに自然と覚醒してしまい、かなり悲惨な目にあっている。それを解決に導いたのはイダー・ピンガラーといったナディに関する知識であったようである。
心の落ち着き、道徳心
心の状態が、それにふさわしい状態になれば、自然と覚醒が始まる。
ルドルフ・シュタイナー氏などは、チャクラの覚醒について述べているが、そこにはバンダやムドラーなどの技法は用いず、心の状態を整えることを中心に方法が示されている。
これらの比較的穏やかな技法は、必ずしも肉体的行法は必要ではなく、どのアプローチを用いても、自然に同じゴールへ辿り着くという可能性を示している。
ハタヨーガの荒々しい技法は批判されることが多く、ヨーガスートラの穏やかなラージャヨーガが称賛されることが多いのは、このあたりにもひとつ理由があるのであろう。
死の意識
クンダリニー覚醒において、死の意識が関係していることが多いようである。
「火事場の馬鹿力」などというように、人間は死に近い状況になると、潜在能力が一気に目覚めるということがある。
実際、クンダリニー覚醒時には抗いがたいような力を感じ、死へ向かっていくような恐怖を感じることがある。
肉体に執着しない・肉体を捨てる覚悟、というのもひとつの鍵であろう。
死を理解し、死に触れることが、クンダリニー覚醒の重要な要素のひとつであると考えられる。
しかし現代日本は、普通に生きている上ではあまりに死から遠く、生死の狭間を経験することも少ない。そこで活用されるのが、プラーナーヤーマである。プラーナーヤーマに熟達することで、死を垣間見ることができ、これが覚醒の重要な鍵のひとつとなる。
クンダリニーヨーガの行法研究
シヴァナンダ氏・サティヤナンダ氏の提唱するクンダリーニヨーガあるいはクリヤーヨーガ、パラマハンサ・ヨガナンダ氏のSRFが提唱するババジから伝わる系列のクリヤーヨーガ、ヨーガスートラのラージャヨーガ、チベット密教やそれに近いハタヨーガ、坐禅、マントラヨーガなど、様々な技法が存在する。
詳細な行法についての解説は各氏の書籍などを参考にしていただきたい。また、こういった行法は「密教(タントラ)」の部類に入る教えであり、書籍で得られる情報はほんの入口にすぎず、信頼できる師に直接習うのが適切であろう。
たとえば、立っているとき膝が外を向いてしまう人と、内を向いてしまう人がいるとする。それぞれに修正の指示を出すとしたら、真逆のことを言わねばならない。そのため、密教的な教えはどこまでも「個人」に向けたパーソナルレッスンである。文字にして示せる顕教としての教えは、「膝を前へ向けよ」というざっくりしたものになる。この顕教的な指示だけで気づき、自分だけで進める人には、その教えだけでも十分である。しかし多くの場合、安全に効率的に進んでいくためには師匠によるパーソナルレッスンが必要になる。
ここでは、各氏の行法の概要や、それらを比較したときの共通点など私が個人的に着目した点をまとめていく。
ひとまず、私がたどっていった順番に、様々なクンダリニーヨーガの理論や行法についてまとめていくことにする。
ハタヨーガプラディピカーに示されたクンダリニーヨーガ
ハタヨーガプラディピカーで示されているハタヨーガの目的は「ラージャヨーガに至る階梯である」とされている。
ヨーガスートラによって、ハタヨーガが現れるよりも数世紀前に示されたラージャヨーガ(アシュターンガヨーガ・8支則のヨーガ)。その目的は、無種子三昧あるいは法雲三昧といった究極のサマーディであったが、ハタヨーガプラディピカーではそのようなゴールに至った状態を示す様々な言葉を、結局は同じ状態であると示している。
つまりハタヨーガの重要な要素であるクンダリニーの上昇が起これば、サマーディは自然に訪れるとしている。
参考:ハタヨーガプラディーピカー概説 4.1-4.34 〜ヨーガが成った状態を表す、様々な表現〜
ハタヨーガプラディピカーは4章で構成され、1章目からアーサナを扱っているが、冒頭にはラージャヨーガで用いられたヤマ・ニヤマも示され、ヨーガスートラのヤマ・ニヤマに少し項目も加えられた10項目ずつのヤマ・ニヤマが述べられている。アーサナなどの肉体的行法に入る前に、やはり道徳的な基礎が必要であるとしている。
参考:ハタヨーガプラディーピカー概説 1.12-1.16 〜ハタヨーガを行うための諸条件〜
行法は、約18種類(バリエーション含む)のアーサナから始まり、プラーナーヤーマ、ムドラーと続く。また、6つの浄化法「シャットカルマ」についても述べられていて、肉体とナディを徹底的に浄化し活性化することがクンダリニー覚醒につながるという考え方のようである。
参考:ハタヨーガプラディーピカーの概要・アーサナ一覧
参考:ハタヨーガプラディーピカー概説 2.21-2.38 〜シャットカルマ(6つの浄化法)とガジャ・カラニー〜
様々な心身の準備を終え、最終的にはシャクティ・チャーラナ・ムドラーを行うことでクンダリニー覚醒に至るという流れになっている。ムドラーの中には性的ヨーガを思わせるものもあり、難度の高い浄化法も示されている。
本山博氏のクンダリニーヨーガ
本山博氏のクンダリニーヨーガは、基本的にはサティヤナンダ氏のクンダリニーヨーガがベースとなっている。
彼の書籍をいくつか読んでみると、行法の中でも重要な要素として、「下腹部(丹田)でプラーナとアパーナを合一させる」という観念が扱われている。
ムーラバンダを伴った吸気で、骨盤底から意識を引き上げつつ頭頂から意識を下ろして丹田で合わせ、そこでクンバカをしてキープをするという行法がメインとして扱われているようである。
参考:「密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法」本山 博 (著)
サティヤナンダ氏のクンダリニーヨーガ
サティヤナンダ氏はクンダリニー覚醒のためにはいくつかの道があることを示唆し、その中でも最善と思われる行法と修行の進め方などまで具体的に示している。
各チャクラについて位置や役割を詳しく述べ、それぞれを活性化するための行法を示している。順番としては、第1チャクラからではなく司令塔である第6チャクラを最初に扱っている。
行法には、アーサナ・プラーナーヤーマ・バンダ・ムドラーやハタヨーガの浄化法など、様々な技法が組み合わされている。
サティヤナンダ氏のクンダリニーヨーガについては、著作「クンダリニー・タントラ」を概説した連載記事を書いたので、以下を参照。
参考:「クンダリニー・タントラ/サティヤナンダ(著)」を読む
参考書籍:「Kundalini Tantra 英語版 ペーパーバック」 Swami Satyananda Saraswati (著)
参考書籍:「Kundalini Tantra 英語版 Kindle」 Swami Satyananda Saraswati (著)
シヴァナンダ氏のクンダリニーヨーガ
サティヤナンダ氏の師であるシヴァナンダ氏のクンダリニーヨーガは、チャクラやナディに関する詳しい解説もされているが、冒頭にまずシンプルなプラーナーヤーマが示されており、それらさえ真剣に行っていればすみやかにクンダリニーは目覚めるとしている。
まず片鼻呼吸法が示され、その後にバーヴァナ(観想)を伴ったシンプルなプラーナーヤーマが示されている。
肉体的に考えればシンプルな呼吸法ではあるが、イメージがとても大切であるとしている。
息を吐ききったときに骨盤底のムーラダーラチャクラに意識を置き、吸うときに背骨を通って頭頂へ意識を移し、クンバカを経て、吐くときに背骨を通ってまたムーラダーラチャクラへと戻る。このイメージを明確にできればできるほど、クンダリニーはすみやかに覚醒すると示している。
参考:「KUNDALINI YOGA」Swami Sivananda(著)
ゴーピ・クリシュナ氏のクンダリニー覚醒
クンダリニー症候群について述べる際に頻繁に引用される、ゴーピ・クリシュナ氏の著書「クンダリニー」には、クンダリニーヨーガとしての行法は詳しい行法は示されていないが、彼は白蓮華を頭上に観想するという行法を行っていたところ、不意にクンダリニーが覚醒してしまったため大変な目にあっている。
参考:「クンダリニー」ゴーピ・クリシュナ (著), 中島巌 (翻訳)
興味深いのは、彼は覚醒の行法としてチャクラのような概念を全く用いていない。クンダリニー症候群から脱するために、ナディの知識を用いたようではあるが。
つまりクンダリニーヨーガには様々な道があり、チャクラを用いることも必須条件ではないということが示唆されている。
彼はチャクラについて、クンダリニーによって帯電した神経叢が光り輝き、その形が蓮華のように感じられるのを、諸氏はチャクラと表現したのではないかと述べている。
成瀬雅春氏のクンダリニーヨーガ
「クンダリニーヨーガ」というキーワードで調べると、おそらく成瀬雅春氏の著書がよく見つかることであろう。
成瀬氏はハタヨーガの古典群を詳細に研究した上で、シャクティ・チャーラニー・ムドラーがクンダリニーヨーガのための重要な行法であると位置づけている。その基本行法は肛門を締めるムーラバンダであり、回数を数えながらムーラバンダをたくさん行っていく行法が丁寧に示されている。
この本の中には、個別のチャクラに関する行法は記されておらず、ムーラーダーラチャクラへの刺激が主要な行法として扱われている。
行法をレベル分けして進めていくように作られており、進めていくとどんな変化が起こってくるのか、神話を引用するなどして細かく示されている。頭にエネルギーが集中してしまったときなどクンダリニー症候群の対策についても述べられている。
可能な範囲でかなり細かく行法を紹介してくれているが、やはりこういった行法は直接師匠から教わるべきものであろうということは指示されている。
ダンテス・ダイジ氏のクンダリニーヨーガ
ダンテス・ダイジ(雨宮第慈)氏のクンダリニーヨーガは、ハタヨーガの技法をベースにとてもシンプルにまとめられている。
参考:「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」ダンテス ダイジ (著)
マハームドラーや瞑想を元に行われるが、その中心となる技法は、呼吸と合わせて意識を動かし、脊髄あるいは身体の中心ラインを通して頭頂〜尾骨先端に置く観想のようである。
特に尾骨先端への意識を繰り返し説いている。座って行う際には尾骨先端が軽く触れるような坐物にすわるべしなど、姿勢や環境に関しても細かく指示されている。
彼は人間のゴールのことを「ニルヴァーナ」と呼んでいて、それに至る過程はクンダリニーヨーガだけではなく、只管打坐などいくつかの道を示している。
私のクンダリニーヨーガに関する体験と行法
クンダリニーヨーガとの出会い
私が最初にクンダリニーヨーガを本格的に研究し始めようと思ったのは、本山博氏の本を読んだときだったかと思う。
ヨガとはなんなのか、ということを調べ始めたころ、現代に伝わるヨガの原型は「ハタヨガ」だとよく言われていたが、ハタヨガとは一体なんなのか?ということを調べようとして、ハタヨガの重要教典とされているハタヨーガプラディピカーを読んでみた。
すると、現代ヨガで重視されるアーサナ(ポーズ)については十数ポーズだけ本当に簡潔に示されているだけで、どうやらハタヨーガにおいてはクンダリニーやチャクラといったものが大きな要素であり、それらを目覚めさせるための浄化法や呼吸法などが重要な行法として扱われていた。
思っていたよりもアーサナについての情報は少なかったとはいえ、ヨーガスートラとは違って、身体を使う現代ヨガに少し近くなったのだろうなというのは感じた。ヨーガスートラの時代は「アーサナ」はほぼ「坐法」を意味していたのに、なぜハタヨーガの時代ではポーズを表すようになったのか。
参考:「ヨーガの哲学 (講談社学術文庫)」立川 武蔵 (著)
ヨーガの歴史を調べてみると、どうやらハタヨーガの開祖に近い人物は「密教」に関わっていたらしい。「密教」とはなんだろうか?同じ意味で用いられることのある「タントラ」という言葉は、例の新興宗教がよく使っていた言葉のような気がする。そんな怪しいところへ踏み込んで大丈夫だろうか、などと、今考えればずいぶんと浅いところで少し躊躇していた。それがたぶん、現代人にとっては普通の感覚なのかもしれないが。
さて調べてみると、お誂え向きに「密教ヨーガ」という本が見つかったので、読んでみることにした。これが本山博氏の本であった。とても怪しい表紙で、中のイラストもだいぶ時代を感じる本だったが、そこには見慣れたアーサナや呼吸法の解説もあり、それらを組み合わせることでクンダリニーやチャクラといったものにアプローチするという行法が示されていた。
参考:「密教ヨーガ―タントラヨーガの本質と秘法」本山 博 (著)
いままでやっていたヨガをうまいこと組み合わせたり応用したりすると、そんな大層なことができるのか。いろいろなオシャレな現代ヨガを見て研究してきたが、クンダリニーヨーガはそれらと比べると「集大成」あるいは「奥義」のような印象を受けて、魅力を感じ、そちらのほうへ進んでみることにした。
私の行ってきたクンダリニーヨーガの行法
人それぞれ自分に合った行法を選んで良いが、ただ見た目の形だけ真似るだけでは不十分な場合が多くイメージの用い方などに鍵があるので、やり方はしっかりと学んで実践しなくてはならない。
しかしクンダリニーヨーガに関しては特に、なかなか良い師を探しづらいかもしれない。私もなかなか巡り会えなかったので、自分でできる範囲で慎重に気づきを磨きながら研究を重ね、行法を検討してきた。
これがクンダリニーなのか?と最初に意識したのは、あるプラーナーヤーマのような技法を行っていたときである。直接的にはそれがトリガーになったが、おそらくそれまで背骨の調整や気の流れの調整などを重ねてきたことも関係しているのであろう。おそらくその積み重ねがなければ、覚醒したときに起こる症状が強すぎてそのまま死んでいたかもしれない。
意外にもそのときに読んでいたのはインドのヨーガの本ではなく、日本人が書いた霊能力を開発するための古い本であった。
以下に概要を示すが、慎重に行わなくてはならない。
骨盤底から空気を吸って腹の底から首のあたりまで体幹全体を使って大きく空気を吸い込み、喉のところに空気を集めてエネルギーの球を作るようにイメージする。
その球を下げていき腹の底まで落とす。実際に腹が膨らんだ状態になり、腹の上から順番に少しずつ完全に空気を吐き出し、腹の底まで吐き切る。
やり方はシンプルであるが、空気の球の作り方によってはかなり器官に圧がかかることになる。その器官にストレスが帯電した状態の場合、一気に発散されて痺れるような感覚が「自動的に」起こる。私の場合は空気の球が、大椎(頚椎七番)、みぞおち、仙骨のあたりにあるときにそれが起こりやすかった。何度か行っていると、そこに帯電していたストレスが発散されて、同じことをしても症状は起こらなくなる。クンダリニーは、このような「浄化」のようなプロセスを導く力のように感じられる。
もちろんこれが唯一の方法ではなく、様々なクンダリニーヨーガの技法が存在する。しかしおそらくこのように、クンダリニー覚醒はなにかのトリガーによって自動的に起こって進行し、人それぞれストレスが帯電した器官を浄化しながら動き回るものと思われる。この自動的な流れは、意志を磨けばコントロールすることもできるが、最初は独自に動き回る蛇のように感じられる。
ストレスの分布は人それぞれ異なるので、症状の出方は様々である。あまりにストレスがかかっていると、重篤な症状が現れたり、そのまま死んでしまう人もいるかもしれない。それらがクンダリニー症候群などと呼ばれているものかと思われる。このときの症状をマイルドにするために、日頃から背骨や関節を動かすヨガをしたり、気の流れを整えたりする行法を行っておくべきであろう。
背骨や気の流れを整えるヨガとしては、シヴァナンダヨガや陰ヨガは特に効果的であるように感じられた。そしてシヴァナンダヨガをベースにして、私なりにより全身を整える要素を加えたものを、ヨガベーシックとして日々レッスンでも行っている。
(随時更新)
参考記事
参考文献
「Kundalini Tantra 英語版 ペーパーバック」 Swami Satyananda Saraswati (著)
「Kundalini Tantra 英語版 Kindle」 Swami Satyananda Saraswati (著)
「KUNDALINI YOGA」Swami Sivananda(著)
「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」ダンテス ダイジ (著)
「クンダリニー」ゴーピ・クリシュナ (著), 中島巌 (翻訳)
「クンダリニ―ある奥義体験 (神智学叢書)」岡崎正義 (著), G.S.アランデール (著)
「ババジと18人のシッダ: クリヤー・ヨーガの伝統と真我実現への道」Marshal Govindan (原名), マーシャル ゴーヴィンダン (著), ネオデルフィ (翻訳)
「クンダリーニ・ヨーガ (GAIA BOOKS)」シャクタ・カー カルサ (著), Shakta Kaur Khalsa (原名)