ヨガのレッスンで、呼吸法や瞑想の練習をしながら行われることの多いチンムドラー。
手の親指と人差指を結んで輪をつくり、中指・薬指・小指はまっすぐ伸ばすという形の「印(ムドラー)」です。
手のひらを上に向けた場合はチンムドラー、下に向けた場合はジュニャーナムドラーなどと呼ばれます(たまに逆で定義されている場合もあるようです)。
「ジュニャーナ jñāna」は発音が難しいサンスクリット語で、ジニャーナムドラー・ギャーナムドラー・ニャーナムドラー・ギャンムドラーなどと表記されることもあります。
これらのムドラーについて、意味や違いを考察してみます。
この記事の目次
ムドラーとは
ムドラーという言葉は、英語ではGesture(ジェスチャー)、Attitude(態度・姿勢)などと訳され、日本語では「印」と訳されることが多いです。
いろいろな宗教において様々なムドラーが存在し、チンムドラーや、いわゆる合掌(アンジャリームドラー)、瞑想で用いられる法界定印(コズミックムドラー)などがよく知られています。
「手印」と呼ばれる手を使ったムドラーだけではなく、ハタヨーガには体全体を使ったムドラーもたくさんあり、ハタヨーガプラディピカーにおいては第3章で扱われています。
参考:ハタヨーガプラディーピカー概説 3.6-3.9 〜10種のムドラー〜
体全体を使ったムドラーの意味としては、「アーサナ+バンダ+呼吸」を組み合わせた行法がムドラーであると考えられ、ハタヨーガの目的である、ナディ(体の中を通るエネルギーライン)の浄化、クンダリニーの上昇といったことを実現するために重要な役割を果たします。
参考:バンダとは?(ムーラバンダ・ウディヤーナバンダ・ジャーランダラバンダ)
つまりムドラーを行うのであれば、形だけ真似するのではなく、バンダや呼吸も指定されているものに関しては、しっかりそれらも合わせて行いましょうということが示されています。
チンムドラー・ジュニャーナムドラーの詳しいやり方
やり方の概要
チンムドラー・ジュニャーナムドラーともに、手の親指と人差指を結んで輪をつくります。
手のひらを上に向ける形をチンムドラー、手のひらを下に向ける形をジュニャーナムドラーと呼ぶことが多いですが、逆の名称がついている場合もあるようです。
親指・人差指
親指と人差指の結び方に関しては、まず親指が神様で人差し指が自分であるとするなら、「×親指の爪を人差し指の腹に当てる」というやり方は間違っていると言われます。「人差し指(自分)が親指(神様)に向かっていく」という意識で行うのが正解ということでしょう。
その場合「人差し指の爪を親指の腹に当てる」という形が簡単ですが、インドの哲学の先生が言うには「人差し指の先端が親指の先端近くに接する」のが正式だということでした。そのほうが確かに合一してる感はあります。
おそらくこちら↓が一番無難な形ということでしょう。
これは諸説あるようで、ちなみにインドのアーサナの先生は「人差し指の爪を親指の腹に当てる」形でやっていました。
サティヤナンダ氏の「Asana Pranayama Mudra Bandha」によれば、図として「人差し指の爪を親指の腹に当てる(詳しく言えば、人差し指の先端が親指の根元に当たるくらいに深く接している状態)」の形が描かれていて、難しいバージョンとして先ほどの「人差し指の先端が親指の先端近くに接する」の形が文章で説明されています。
中指・薬指・小指
「Asana Pranayama Mudra Bandha」には、3本の指は「伸ばして、リラックスし、少しだけ離す」と書かれています。
手を使うヨガポーズを行うときにも、指同士を大きく離さないようにということは比較的よく言われることで、主にエネルギーが発散してしまわないようにという意図がこめられているようです。たとえばアシュタンガヨガでトリコーナーサナのように手を挙げるポーズなどでは、指を開かずに閉じておくようにしなさいと言われることが多いです。
「少しだけ離す」というのは、リラックスせよということと、少し離しても気の流れはつながっているということを表しているのかもしれません(参考:エーテル体)。あるいは、少しだけ離すと意外に指がプルプルしてしまってリラックスできないという人もいるかもしれません。その場合、少し離すにはむしろ集中力が要るということになります。
気の流れを発散させてしまわないことを意識するのであれば、あまり広げたりズラしたりしないほうが効果は高まるでしょう。
ただ、後述するように3本の指が「手放すべきもの」を表しているのだとしたら、広げておくのも良いかもしれません。たまに以下のように行っている写真も見かけます。
つまりムドラーを行うときは「イメージ」もとても重要であるということです。エネルギーを巡らせるというイメージで行うならば指はあまり離さないようにし、悪いエネルギーを放出するイメージで行うなら指を離して行う、というように心身を一体としてムドラーを行うようにすると良いでしょう。
また、日本にも伝われる仏像の手印としても、似た形のものがいくつかあります。転法輪印・説法印の右手の形や、来迎印などで用いられていますが、中指と薬指を少しだけ曲げたりするなど、微妙な変化があるようです。
チンムドラー・ジュニャーナムドラーの効果、各指の持つ意味
親指と人差指に関しては、ほぼ決まった意味があるようです。
親指:宇宙意識(ブラフマン)
人差指:真我(アートマン)
ヨーガは元々、「つなぐ」「結ぶ」「合一」といった意味で用いられた言葉であり、目的は真我と宇宙意識の合一というところにありました。そのため、親指に向かって人差し指をつなぐという印がそのままヨーガを示すということです。
そういった宗教的な意味はいったんおいておくとして、体の中で輪をつくる姿勢というのは、通常は外に逃げてしまっていたエネルギーを内側にもどして巡らせることができるという効果があり、たとえばバッダパドマーサナやマリーチアーサナシリーズなどは、手をつなげたときにとても気持ちよさを感じます。
これらのような難しいアーサナをやらなくても、身体の中で簡単に輪をつくれるのが、チンムドラー・ジュニャーナムドラーであるということでしょう。
中指〜小指に関しては、主に下記の2つの説があるようです。
中指〜小指が、トリグナ(自然界の構成要素)を示す説
親指:宇宙意識(ブラフマン)
人差指:真我(アートマン)
中指:純粋性(サットヴァ・グナ)
薬指:動性(ラジャス・グナ)
小指:惰性(タマス・グナ)
ヨーガスートラが用いていたサーンキャ哲学(多元的二元論)によれば、真我と自然界は別のものであり、心や体も「自分」ではなく変化し続ける自然界の一部であると定義されています。
参考:ヨーガスートラとは
自然界(プラクリティ)を構成するのがトリグナという要素であり、親指と人差指が表す「魂」的なものと、中指〜小指が表す「自然界」は別のものであるというサーンキャ哲学の考え方を想起させる気がします。
つまりヨーガスートラの世界をそのまま表しているようなものであり、ヨーガスートラのやり方に準じた瞑想を実践する場合には適したムドラーであると言えるのかもしれません。
用語辞典:グナ guṇa
中指〜小指が、手放すべきものを示す説
親指:宇宙意識(ブラフマン)
人差指:真我(アートマン)
中指:エゴ・我執
薬指:妄想・迷妄
小指:カルマ・業
親指と人差指はエネルギー的にループが生じていますが、それに対して外に向いている3本の指は、不要なものを外に排出するようなイメージを想起させるので、手放すべき要素をそれぞれの指に割り当てるという考え方が用いられることもあるようです。
上記の3本指の役割は一例で、微妙に異なる説も存在するようです。
用語辞典:カルマ karman
チンムドラー・ジュニャーナムドラーの違いに関する考察
チン(Chin)はChittaを表し、これはヨーガスートラの最重要要素である「心」あるいは「意識」を表します。
ジュニャーナ(Jnana)は「直観智」を表します。
2つのムドラーについて、言葉としての意味の違いは説明されているのですが、どんな場合にどちらを用いるかということが説明されている文献がほとんど見つからなかったので、そのあたりについて考察してみようと思います。
ジュニャーナ・ヨーガの意味から考える
ヨーガの中には「ジュニャーナ・ヨーガ」と呼ばれるものがあり、ジュニャーナはいわゆる外から得られる知識とは全く異なる真理であり、元々備わっているはずの直観智であると定義されます。
ジュニャーナ・ヨーガで定義される直観智とは「不二一元論」であり、感覚器官で捉えられる自然界はすべて幻であって、実在するのは宇宙意識ブラフマンだけである、という真理です。
参考:ヨガの大分類(ジュニャーナ・バクティ・カルマ・ラージャ)〜体を動かすヨガ・それ以外のヨガ〜
ジュニャーナ・ヨーガはその真理を悟ることが目的なので、たった一歩でゴールに辿り着く道ではありますが、その一歩がとてもとても難しいヨーガであると言われます。
「実在するのは宇宙意識ブラフマンだけである」という智は、外から得られるものではなく、元々自分の内側、しかも最奥(アートマン)にあるものに備わっているとされるので、ジュニャーナムドラーは内側を向いているのかもしれません。
それに対して、チンムドラーは外側から何かを受け取っているような形をしており、その名の通り感覚を高めるために用いられるということなのかもしれません。
しかしヨーガスートラの主張するチッタ・ヴリッティ(心の働き)を止滅するラージャ・ヨーガを行うとするなら、チッタが抑えられてこそジュニャーナに気づいていくということになります。
そのあたりに、チンムドラーとジュニャーナムドラーの使い分けのポイントがありそうです。
手のひらの向きによる感覚の違いから考える
ムドラーを組むかどうかに限らず、坐ったときに手のひらを上に向ける場合と下に向ける場合で、結構気分が変わるのが実感できると思います。
沖正弘氏の本によると、手のひらを上に向けると副交感神経を刺激するので体は弛緩する、下に向けると交感神経を刺激して体は緊張すると述べられていますが、これは肩の柔軟性や姿勢にもよるので人によって差が出てしまうかもしれません。
単純に体の癖として、巻き肩・猫背の人は、シャヴァーサナのときなども手のひらを下に向けがちになります。なのでそういった人は、手のひらを上に向ける形に慣れていったほうが、自然な姿勢に戻していくことができるでしょう。
ただ、あまり気にしすぎていると雑念が入ってくるので、瞑想に際しては「その時に心地よいと感じる方向」に手のひらを向けて良いと思います。
チンムドラー・ジュニャーナムドラーの使い分けに関する考察まとめ
チンムドラーとジュニャーナムドラー、どんなときに、どちらを使うべきなのか?
意味を元に考えるなら、チャクラ瞑想を行っているときやアーサナをしているときなどの「感覚を研ぎ澄ませる」系の実践と合わせて行うならチンムドラー、「心の働きを止滅する」系の実践と合わせて行うならジュニャーナムドラー、という使い分けも良いかもしれません。
身体の姿勢を整えるために、巻き肩や猫背を改善する目的で行うのであれば、手のひらを上に向けてチンムドラーに慣れていくのが良いかもしれません。
ただ、結論としては「なんとなく気持ちいいほう」で良いかと思います。テキトーなようでもありますが、本当に気持ち良いかどうかを感じ取るセンサーが重要です。
そしてチンムドラーやジュニャーナムドラーにこだわる必要もなく、なんとなく気持ちよくないと感じるのであれば、ヨガスタジオでみんながチンムドラーしていても、合わせて行う必要はないと思います。
ただ、ムドラーは気の流れを左右するパワーのあるものですので、場の気を乱すことのないように、あまり勝手なムドラーを選んで行わないようにしたほうが良いかと思います(変なムドラーを行っていると、気持ち悪さを感じると思いますが)。
参考文献
「ムドラ全書: 108種類のムドラの意味・効能・実践手順」 ジョゼフ・ルペイジ (著), リリアン・ルペイジ (著), 小浜 杳 (翻訳)
「フィンガーヨガ ムドラ:ずっと健康で、幸せで、心の安らぎを持ち続けられる簡単なテクニック」 ゲルトルート・ハーシ (著), 桑平 幸子 (翻訳)
「Asana Pranayama Mudra Bandha ペーパーバック」Swami Satyananda Saraswati (著)