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ヨガの大分類(ジュニャーナ・バクティ・カルマ・ラージャ)〜体を動かすヨガ・それ以外のヨガ〜

ヨガの大分類(ジュニャーナ・バクティ・カルマ・ラージャ)〜体を動かすヨガ・それ以外のヨガ〜

伝統に執着せず、洞察力をもってヨガを選ぶ

今日は、国際ヨガデー(国際ヨーガの日)

ずっと書こうと思っていた「体を動かす以外のヨガ」について、そして「ヨガの分類(ジュニャーナ・バクティ・カルマ・ラージャ)」についてざっと書いてみたいと思います。

この記事の目次

現代日本で流行っているヨガは、何ヨガ?

現代の体を動かす「ヨガ」のベースとなっているのは、ハタヨガ(ハタ・ヨーガ)とされています。

ハタの意味は「力強い」、あるいはハを「太陽」、タを「月」と捉え、相反するもの(男女など・二元論)を結合させる・バランスをとる、といった意味で用いられます。ヨーガはそもそも「結ぶ」「繋ぐ」といった意味です。

初期のハタヨガにはアーサナ(ヨガポーズ・坐法・姿勢)だけでなく様々な呼吸法や浄化法なども含んでいたので、現代のアーサナメインのヨガは、ハタヨガの中でもさらに一部分を扱ったものと言えるかと思います。

一般的なヨガスタジオで行われている「◯◯ヨガ」には下記のようなものがあります。

≫アシュタンガヨガ(フルプライマリー)のポーズ内容・順番

≫シヴァナンダヨガのポーズ内容・順番

また、現代一般的に「ハタヨガ」という言葉は、「ヴィンヤサヨガ以外のヨガ」という意味で用いられていることが多いです。

ヴィンヤサヨガは、1クラス全体が呼吸に合わせてつながっているので、アーサナ間で休憩がほとんどありません。「フロー感」を楽しみたい人にはとても気持ち良いヨガになります。

それに対して、現代の「ハタヨガ」は、アーサナごとに時間を長く取り、かつ間を開けて行うので、ひとつひとつのアーサナをしっかり行えるクラス、と捉えると良いかと思います(教える人によって様々ですが)。

現代の「ヨガ」は、ヨガのほんの一部分を発展させたもの

効果的なエクササイズとして流行っているヨガ、5000年ほどの歴史を持つと言われていますが、元々は「体」よりも主に「心」を扱うものだったようです。

PC・スマホ・快適すぎる椅子などに支えられた現代人と、昔の人々の体を比べると、その健康課題は全く異なるものだったことでしょう。

とはいえ「心」はいつの世も変わらず、ほとんどの人は「幸せになりたい」という課題を持っています。

「体の健康」=「幸せ」?

必ずしもそうではないようです。
自ら肉体的な死を選んだヨガ行者もたくさんいます。

日本でも、つい数百年前までは武士が自ら死を選ぶことがあり、現代でも、不健康ながら楽しく短く生きることを選ぶ人もいますし、人間にとって「体が健康なら幸せ」というのは普遍的な価値観ではないのは明らかです(「健康」をどう定義するか、という議論にもつながりますが)。

いろいろな価値観がある中で、幸せを探すにはどうしたらいいのか?

結局ヨガの目的とは?

精神的至福(ニヒシュレーヤセ)を得ること。
それは、世俗的繁栄(アビウダヤ)とは限らないということです。[参考文献1]

幸せを決める基準は自分の中にあり、持って生まれたものなのでしょう。
外からの刺激によって「気づく」ことはあっても、それは誰かに教わるものではありません。

自分の中を探していくためには、徹底的に「余計なことをしないようにする」、つまり何か(対象)に「集中」するという方法が用いられます。

対象を適切に選び、集中する練習をしてくと、集中が連続して「瞑想」に至り、そのとき余計な心の働き「雑念」が止まっています。そうすると、本来の幸せにつながる「本来やるべきこと」が自然に湧き上がってくると言われます。

では集中する「対象」をどう選ぶか。
その選び方は人それぞれで良いのです。

それぞれが自分に合った対象を選んでいった結果、いろいろな神様や哲学、いろいろなヨガが生まれていったのでしょう。

現代ヨガにおいては、対象が「アーサナ(ポーズ)」であるということでしょう。

現在の一般的なヨガの大分類(ジュニャーナ・バクティ・カルマ・ラージャ)

ヨガ(ヨーガ)の大分類として現在考えられているのは、バガヴァッド・ギーター(2世紀ごろ)でも扱われている以下の3つ

  • ジュニャーナ・ヨーガ
  • バクティ・ヨーガ
  • カルマ・ヨーガ

あるいはそこに、

  • ラージャ・ヨーガ

を加えた4つとされています。

これらは簡単に解説できるものではないのですが、ひとまず全て「対象」にフォーカスして捉えてみると分かりやすいかと思います。

ジュニャーナ・ヨーガは「智慧のヨガ」

ジュニャーナは「ギャーナ」「ニャーナ」などと書かれることもあり、「智」などの意味です。
サンスクリット語の発音では「ンニャーナ」が近いかもしれません。

「宇宙の真理を理解すること」を対象として集中します。

たしかに、これが理解できたときには雑念はなくなりそうです。
いわゆる「悟る(全てを理解する)」という状態となり、心が不動なものになるでしょう。

具体的には、ヴェーダーンタ(インドで古来から編纂されてきた宗教文書)で説かれた「不二一元論(アドヴァイタ)」を理解することを道筋としたヨガです。

しかし、「宇宙と自分、そして全ては一つだったのだ!」と、言葉では一言で済んでしまうことなのですが、たった一歩のことでもすごーく難しい一歩です。

バクティ・ヨーガは「信愛のヨガ」

「神を信じ、愛すること」を対象とした、有神論に基づいたヨガです。

バガヴァッド・ギーターでは特にヴィシュヌの化身であるクリシュナをとにかく信じ愛せよと説かれているので、バクティに重点が置かれ、ヴィシュヌ派にとって重要な聖典であるとされています。

キリスト教などもこれに近いように感じます。ただ神を信じ祈れば、救われると。

「信じる」「愛する」「祈る」というのはわかりやすい「集中」の手段ですが、前にも記事で書いたように「洞察」ができなければ、ヘンなものに集中してしまうことになってしまいます。

バガヴァッド・ギーターでもアルジュナは注意深くクリシュナにたくさんの質問をしています。いつか解説を書きたいと思いますが、その中には、日本人にはちょっとすんなり受け入れがたい話もでてきます。

カルマ・ヨーガは「行為のヨガ」

「結果に執着せずに、行為すること」を対象としたヨガです。

これはとても幅広い意味を持つヨガであり、ハタ・ヨーガもラージャ・ヨーガもここに含まれると定義されることもあります。

わかりやすく日常的にできるカルマ・ヨーガとしては、報酬を求めない奉仕活動などがこれにあたります。

ちなみにインドでの生活では「今週のカルマ・ヨーガ当番(カルマヨギー)」みたいな感じで、食事を盛り付ける給食当番などの仕事が割当てられていました。

ハタ・ヨーガもカルマ・ヨーガとして行うとしたら、「ポーズをできるようになりたい」という結果に対して執着せず、ただただ今に集中して練習をするべきであるということになります。

「集中」が連続すれば「瞑想」となり、瞑想が自然に行われるようになれば、対象を一体となって「三昧」となる。「うまくポーズができる自分」と、いつの間にか一体化しているということになります。

ラージャ・ヨーガは「心のヨガ」

「心の働きを統御すること」を対象としたヨガです。

ラージャは「王」の意味。
これの解釈としては、

  • 最重要のヨガ
  • 人間という機構を制御する「王」である「心」を扱うヨガ
  • 忙しい王様でもできる、らくちんなヨガ

など諸説あり、現在ラージャ・ヨーガの教典とされているヨーガ・スートラ(4〜5世紀)も、そもそも「ラージャ・ヨーガの教科書だよ!」として書かれたものではなく、後世に名付けられたもので、「ラージャ・ヨーガ」は解釈の分かれる言葉です。

ヨーガ・スートラの内容としては、現代ヨガで重要とされている8支則(アシュタンガ)が含まれます。

≫8支則とは

ヨーガ・スートラの中では、心の働きを統御するために、たくさんの道が示されています。手放していくべき「心の働き」を周到に分別してくれています。

その中で8支則もひとつの道として説かれていますが、もちろん唯一の道ではありません。

8支則の後半3つが「集中」「瞑想」「三昧」で、そこへ至るために結果を求めずに実践を続けるということなので、ラージャ・ヨーガもカルマ・ヨーガの中に含めるという考え方ができます。
また、カルマ・ヨーガとは8支則に基づいた全てのヨガである、とする考え方もあります。[参考文献2]

8支則の中にはアーサナ(坐法)がありますが、ここでは具体的なポーズなどは指示されておらず、ただ「快適で安定していること」とだけ指示されています。

長時間瞑想し、心を一点に定めるためには、安定した坐法が必要だったのでしょう。

≫ヨガのあぐら・坐法

ヨーガ・スートラがまとめられた時点(4〜5世紀)で、アーサナはまだまだ現代のようにたくさんのバリエーションがあったわけではなかったようです。

ハタ・ヨーガが現れてきた12世紀〜16世紀ごろの文献には、数十程度のアーサナのバリエーションが登場します。

諸説あり、「創られた伝統」もあり

ジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガは、宗教的な実践も含むため、多くの日本人や欧米人には簡単に受け入れにくく、またインド人にとってもバラモンのように高度な宗教的な教育を受けた人々以外にとっては「難しいヨーガ」であったと思われます。

そのため、日常から実践できて、実践の方法も許容範囲の広い、カルマ・ヨーガが主流となり、そのなかでラージャ・ヨーガやハタ・ヨーガなどが生まれていったようです。

ヨーガを伝えるために用いられていたサンスクリット語はそもそも書き記されるための言語ではなく、口伝でごく一部の人々に丸暗記されて伝わってきたため、残っている文献も少なく、都合よくつなぎ合わせて「創られた伝統」が多いことも事実です。

なので、「なにが正しい伝統なのか」に執着しすぎるとキリがありません

ヨガの選び方

様々なヨガがあることを書いてきましたが、自分に合ったヨガを選ぶときは、「伝統的に行われていると言われたから…」というだけの理由で行うのではなく、実践することで自分がどう変化していったかということに気づく洞察力が重要だと思います。

まずは試してみることが必要ですが、違和感があるなら無理して続けるものではありません

変化に気づくには、今の自分に集中することによる「絶え間ない気づきの連続」が必要です。それこそが「瞑想」と呼ばれる状態で、「マインドフルネス」とも呼ばれるようになった実践です。

私も注意深く洞察しながら、まずはメジャーな教典について、今後解説を書いていきたいと思います。

参考文献

1. ヨーガの哲学/立川武蔵
2. アシュタンガ・ヨーガ インターミディエート・シリーズ/グレゴール・メーレ

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