哲学を学んだことがある人なら、名前を一度は耳にしたことがある人が多いと思います。バガヴァッドギーター(神の詩)。
インドでは最も有名とも言われるほどの重要な本ですが、日本人にとってはヨーガスートラよりもさらにとっつきにくいので、読み始めてすぐ挫折した人も結構多いことでしょう。
私も何度も読んでいますが、まだまだ解釈しきれていません。そして訳者によって解釈も様々です。
なので、私なりの考察もしつつ、いろいろな解釈の仕方も挙げながら、なるべく客観的に読み進めていこうと思います。
今回は、バガヴァッドギーターの概要と、なぜ重要視されているのか、ヨガをやっている人は読むべきなのか?ということを簡単にまとめてみます。
これから読もうとしている方、読み始めたけど挫折した方、読んだけどよくわからなかった方へ、少しでもヒントになれば幸いです。
バガヴァッドギーターの概要
古代インドの宗教的・哲学的・神話的叙事詩である「マハーバーラタ」の一部であり、書かれたのは紀元前5世紀〜4世紀ごろと言われますが、成立時期については今も議論されています。
マハーバーラタ自体が完成したのは紀元後4世紀末ごろと言われますが、中身は各部分によって書かれた年代が大きく異なり、かなり昔に書かれたものも含めて編纂されて完成したと言われています。
作者は、作中にも登場するヴィヤーサ仙であると言われますが、実際は不明です。
ラピュタに出てきた「ラーマーヤナ」も同時期の作品と言われ、ムスカがぶっ放した「インドラの矢(雷)」はマハーバーラタにも出てきます。
マハーバーラタは、もともとひとつの「バーラタ族」であった一族が分かれた「パーンダヴァ族」と「カウラヴァ族」の戦いが描かれた物語で、登場人物が語る様々な教訓がヒンドゥー教やヨーガ哲学に大きな影響を与えてきました。
バガヴァッドギーターは、パーンダヴァ軍とカウラヴァ軍の戦いがまさに始まろうとする前の場面から始まります。
両軍の布陣も終わり、まさに戦い始めようとする場面なのに、パーンダヴァ軍のアルジュナは同族同士で争うことに空しさを感じてしまい「私は戦いたくない」と御者であり師であるクリシュナに告げます。クリシュナは人間の姿をしていますが、実は神様(ヴィシュヌ神)の化身です。
クリシュナは、様々なヨーガの道を説きながら、「アルジュナは今、戦うべきである」と諭していくことになります。
長い物語であるマハーバーラタの一部であるので、第1章からいきなり聞き慣れない響きの登場人物がたーくさん出てくるので日本人としてはすぐに挫折しそうですが、バガヴァッドギーター自体はほとんどアルジュナとクリシュナの会話で成り立っているので、他の登場人物たちはひとまず理解しなくて良いと思います。
いちおう物語は、カウラヴァ軍の盲目の王様ドリタラーシュトラに、千里眼を持つ御者のサンジャヤが戦況を報告するという形で進んでいくことにはなるので、「サンジャヤは語った…」という書き出しがたくさん出てきます。
バガヴァッドギーターが重要視される理由のひとつ
今も昔も人々が求める「精神的至福」、そのゴールの表現の仕方は、人それぞれ持っている哲学や宗教によって様々でしょう。
多くの宗教においては「悟り」「解脱」などと表現されますが、「悟る」ものはなんなのかという定義も異なり、「解脱」の意味も異なっていたりします。
しかしバガヴァッドギーターは「ゴールの定義は違えど、結局はみんな同じ状況(精神的至福)に至ることができる」「ゴールへ向かう道もひとつではなくて人それぞれのやり方で良い」ということを示しています。
このような論法によって、どんな宗教やどんな神様を選んだとしても結局同じ境地に到れるのだとして、様々な宗教を統一しようとしました。
いろいろなゴールの定義や、道のりをまとめてくれているので、バガヴァッドギーターのことを辞書的なもの(スピリチュアル・ディクショナリー)であると捉えることもあるようです。
ゴールへ向かうための主な道は3つのヨーガとして示され、その中でも最良の道は「バクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)」であると説かれています。
ただ、神様(クリシュナ)が信ずるに足る存在なのかよくわからないまま、いきなりバクティ・ヨーガを選ぶのは難しいでしょう。人それぞれの環境に応じて、今選ぶべき最適なヨーガの道は違っていて良いのだと思います。
クリシュナはバクティ・ヨーガ以外の道も丁寧に説明してくれますし、アルジュナも鵜呑みにせず注意深くクリシュナに問い続けます。
このようにバガヴァッドギーターがいろいろな道を示してくれたことによって、それまでの世の中では「解脱や悟りといった状態に至るためには、出家して全てを捧げて苦行しないといけない」とされてきたのが、普通の社会人も仕事をしながら「精神的至福」に至れるのだよと示されたことになります。
バガヴァッドギーターが扱うヨーガの種類
バガヴァッドギーターの中には、「◯◯のヨーガ」という言葉がたくさん出てきます。
ここでの「ヨーガ」という言葉は、ヨーガスートラにおける「心の波立ちを止める」という意味だけではなく、「やり方」「実践」「道」といった意味でも用いられます。
バガヴァッドギーターで扱われるヨーガを3つにまとめると、
- カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)
- ジュニャーナ・ヨーガ(智のヨーガ)
- バクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)
となります。
現代ヨガにおける「パワーヨガ」「リラックスヨガ」といったようなエクササイズ的な分類とは全く異なります。
これらの簡単な解説については、以前書きましたので参考にしてみてください。
≫ヨガの大分類(ジュニャーナ・バクティ・カルマ・ラージャ)〜体を動かすヨガ・それ以外のヨガ〜
ヨガをしている人が、バガヴァッドギーターを読む意味
バガヴァッドギーターで扱っているヨーガは、主に体ではなく心を扱うヨーガです。
現代のヨガを実践している人の目的としては「健康になりたい」「体をやわらかくしたい」「アーサナができるようになりたい」といったことが多いかと思いますが、目的を達成するためには多くの場合、スタジオでレッスンを受けるだけではなく日常生活における習慣を変えていくことが必要になります。
そういった良い習慣づくりや悪い癖を手放すという過程において、ヨガ哲学はとても良いヒントをくれます。
ただ、バガヴァッドギーターからいきなり読み始めても、宗教っぽすぎてヨガが嫌いになるかもしれません。
もしヨガ哲学に興味がでてきたら、おそらくヨーガスートラから読み始めたほうが良いかと思います。ヨーガスートラでも説明されている、輪廻やカルマ、真我とプラクリティといったインド哲学の前提がわかっていたほうが、バガヴァッドギーターは読み進めやすいと思います。
バガヴァッドギーターは上記3つのヨーガを説明していて、アルジュナにとってはバクティが最良の道であると説かれますが、多くの日本人にとってはすんなりクリシュナを信じ愛することは難しいことだと思います。
ひとつの道にこだわる必要はないのです。
おそらく日本人的には、まずはカルマ・ヨーガが実用的で受け入れやすいと思います。日々行っている行為やヨガの練習などについて、「結果に執着しない」という姿勢に切り替えるということです。
この姿勢についてはヨーガスートラでも別の切り口から説明されています。
≫ヨーガスートラ解説 1.12-1.14 〜心を制御する2つの方法〜
もちろんヨーガスートラもバガヴァッドギーターも、ヨガ実践者は必ず読まなければならないというものではありません。
もしアーサナ練習や日々の生活で壁に当たったとき、今の自分にとってヒントになりそうであれば、読んでみると良いと思います。そこには確かに質の良いヒントが詰め込まれています。