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危機に瀕した小島の話

政治と宗教の話が少し話題になっているようなので、宗教について少しヒントになるお話を書いておきます。

宗教はなぜ生まれるのか?というところから考えてみましょう。

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無人島で自給自足している、他との関わりが全くない、30人くらいの小さな村があるとします。

そこはしばらく平和だったのですが、その年は急に気候が激しく変わり、大雨が続き、作物の収穫が減ってしまいました。

なぜ天候が変わってしまったのか?どうしたらいいのか?

考えてもわかりません。

なんとか前年の蓄えがあって生き延びることはできそうですが、来年も同じような気候だったら、生きていくのは難しそうです。

苦悩する人々、行く末を悲観して、ついに自殺する人も出てきました。

どうにかしようと、人々は考えます。

天候を変えることは難しい、どんなに技術を駆使しても、作物を守ることは出来なさそうです。

天候が変わる予測は、雲や風を観察していればある程度できるのですが、それに抗う力はありません。

ならば我々は全滅する「運命」なのか?

「運命」は何によって決まるのか?

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誰かが、「運命」を決めているのは「神」だと言い始めました。

「神」はこの世界を作った意識、人間の力ではどうすることもできない。すべては神の意志次第、滅びる運命ならば、残された日々をせめて楽しく生きよう。

その人は、すべてを神に委ねて、いたずらに不安になるのをやめて穏やかに楽しく今を生きるようになりました。

またある人は、いや「神」には何か意図があるはずだ。このような試練を与え、我々がどう乗り越えるかを観ていらっしゃるのだ、と言い始めました。

その人は、絶望するのはやめて、色々なことを試し始めました。神が与えた試練なのだから、必ず答えがあるという確信があるので、不安になることはありません。失敗しても、その方法は間違っていたという確認ができたので、全ては無駄ではなくプラスに感じます。試すこと自体が、面白くなってきました。

またある人は、「神」は小賢しい人間を愚かしく思っておられる。色々試すよりも、ただただ祈れば、いずれ聞き届けてくださる、と言い始めました。

全身全霊をこめた祈りには、世界を変える力があるのかもしれません。祈りは必ず聞き届けられる、そもそも祈る以外の小賢しいことは逆効果だ、という確信があるので、ただただ祈り続けました。神に想いが一番届く行為を私は日々行っているのだ、という確信のあるその人も、日々穏やかに過ごせるようになりました。

自然の脅威の前に、どうしたらいいのかわからなかった人々は、それぞれ自分のしっくりくる「神」をイメージして、考え方の近い者同士が集まり、それぞれ「やるべきこと」を悟り、日々それに没頭するようになりました。

苦悩することしかできなかった不安な日々と比べると、みんな活気に溢れているように見えます。

IF1

努力の末、悪天候に強い作物が開発され、翌年も生き延びることができました。

すると、作物を開発したグループが、他のグループの「神」のイメージを否定し始めました。

全てを委ねるなどという消極的なことではダメだ、祈るだけなどというよくわからないやり方ではダメだ、と。

全てを委ねていた人々は、新しい作物ができたのも神の意志だ、と主張します。

祈っていた人々は、我々が祈っていたおかげで救われたのだ、と主張します。

我々の神を信じないのなら、作物を分け与えないぞ!とそれぞれが主張し始めます。

元々は食べ物をみんなで作って分け合っていた人々が、奪い合うようになりました。

奪い合いになると、強い武器、多くの信者が必要になります。

戦いの裏では、信者獲得のやり取りも盛んに行われるようになりました。

戦いに勝つ、信者を増やす、蓄えを増やす、ということだけを目指すようになり、いつしか「神」がなんで生み出されたのかを、人々は忘れていきました。

IF1-2

ある者たちは、島の外へ出ていきました。

IF2

祈りは届かず、人々は全滅しました。

IF3

ある者は船を作り、島の外へ新天地を求めました。船には限られた人数しか乗れず、島の外へ出ても、新天地は見つからないかもしれません。

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