研究の軌跡 目次へ 目的別メニュー

研究の軌跡_20221212

一呼吸で、一回の瞬きで、人は生まれ変われる。

一瞬きらめいて見える世界が、瞬きで消えてしまうような気がして、なんとも執着に満ちた浅い瞬きをすると、案の定、消えてしまう。

そんなことの繰り返しである。どうせ消えるだろうと思い込んでしまう。しかし、きらめく世界は突然現れ、それが再現可能であることを示唆してくる。

瞬きの仕方が間違っているのか?

正しい瞬きとはなんだろう?

全ては波、陰陽の繰り返し。

必死で開眼して物質世界を見つめていたエネルギーに対して、閉眼して瞬きする時のエネルギーが弱いと、波として成り立たない。それは偏りへつながり、視力異常やその他の症状や癖として現れる。

正しい閉眼・瞑目とはなんだろうか?

純粋に問いながら、瞑目してみる。

すると、仙骨あたりに力が入り、下腹部をふくらますような吸気が訪れた。意識は丹田へ落ち、温かく、次の開眼を待つ。

しばしの保息、ふくらんだ下腹部が力強く保たれ、丹田への意識の自然な集中、仙骨周辺への力が保たれた後、開眼とともに呼息、それらの力がゆるむ。

まだ磨ける余地は感じるが、これが正しい瞬きに近いものかもしれない。

全ては波。

瞑目・吸気で一度死に、次の開眼・呼気で生まれる。

人は死ぬ時に息を引き取り、生まれる時に肺の中にたまったものを吐き出す。

一回の呼吸、一回の瞬きで、人は生まれ変わっているのだ。

開眼時、意識は物質・肉体にある。閉眼時、意識は非物質・魂にある、

閉眼するとき、物質に執着せず、たまった癖も肩こりも含めてすべて分解して塵と化し、次の開眼時には魂の指揮の元で新たな肉体と世界を形成するのだ。

瞑目時にも「見えているイメージをせよ」という行法があるのは、そういうことか。

いままでの世界にしがみつこうとする執着を一片でも残していたら、閉眼しても執着が捨てきれず、むしろ瞬き後にはきらめく世界は消えてしまう。

肉体的には意識の分布、仙骨や下腹部の動きも大切のようだ。これらが清々しく動けるような姿勢であるほうが良いであろう。

各部分、各体が、清々しくうごけるような状態をつくり、執着を捨て、波を感じ、波に身を任せる。

研究の軌跡 目次へもどる

サイト内検索

コラムを探すページへ