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研究の軌跡_20230720 答えを教わるのではなく、自分で気づくこと

自分を変えるための「答え」を、端的に教わったとしても、それを実践できる人はほとんどいない。

それはたいてい、いままで積み重ねてきたものを手放すことになるためである。

ほとんどの人は、そこに執着してしまう。変えたい自分であるはずなのに、そこに留まりたいという矛盾した意志に屈してしまう。

私は、ヨガなどを教え始めた初期のころから、「その人の変わりたい本当の姿」が見えてしまうことが多かった。

お金をいただいてレッスンをするのであれば、なるべく短時間でそこへたどりついてほしいので、端的に「答え」を伝えてしまいたくなることもよくあった。

しかし、それは前述の理由などから、たいていは「反発」を生む。

変わりたいはずの自分に醜くしがみつき、新しい自分への道を否定する。

それもよくわかる。

なので、私はなるべく、自分でその道に気づいてほしいと思う。

もしかしたら私が見えている理想の姿も、無数の可能性の中のひとつであって、そこへ強引に引っ張っていきたくはない。

しかし昨今の健康本や啓発本、多くのネットの情報には、「答え」らしきものが、「過剰に親切にわかりやすく」示されている。そうでなくては売れないのだろう。

わかりやすいゴールをつくり、わかりやすい「悪」をつくる。浅はかな宗教が人を集めるための手口も同じである。

そういうものが売れていること自体、人々の気づきが足りていない証拠である。かく言う私も気づきを磨く前は、そういう幻に振り回されていたのかもしれないが。

本当に大切なことは、そんなところにはないし、お金で人から買い取ることもできない。

大切なこと、も人それぞれかもしれないので、それを押しつけはしないが。

変わりたいと思って訪れてくれる人には、私なりに質の良いヒントを出し続けよう。

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