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研究の軌跡_20230930 因果

全てには原因がある。

それに気づいていれば、心乱されることは少なくなるし、もし解決したいなら、根本となる原因にアプローチすることができる。

表面的・反射的な対応では、なかなか問題は解決しないことが多い。

原因に気づけていないと、とても不安になる。混乱する。

他人の課題を解決してあげたいとき、本人が原因に気づけていないと、話は全く進まない。それどころか、愚かにも周りの全てを否定し始めるかもしれない。

気づいたとしても、直視する勇気がない人もいる。見てみないふりをする。くさいものにふたをする。その末路は、より悪いものになることは、薄々気づいているはずだが。

あまりにも気づきを妨害する雑念が強い人もよく見かける。前世からのカルマの気配を感じる場合もある。

さて最近、まともに歩けなくなってしまったという人によく相談をされる。

歩けなくなってしまうのも必ず原因がある。

突発的な事故などでなければ、長年の悪い癖の積み重ねである。

その解決には、よほど気づきを働かせないと、積み重ねて悪化してきた以上の期間をかけなければならないこともある。歳を取れば、より変化は遅くなるし、より悪い方向に向かう自然の流れもある。

だが、やはり変化のためには、自分で気づかなければならない。

それを外から焚き付けようとするのは、エネルギーの無駄だ。むしろ拒むエネルギーが生まれ、そこで争うのはあまりにも無駄だ。

やりたくない人は、やらなければいい。

それは変化したくないということ。べつにいまやらなくても、それほど困っていない場合、モチベーションは上がらない。

私はただ祈る。あなたの本当に行きたい方向へ、進まれますようにと。

祈りとは、結果を求めぬもの。

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