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研究の軌跡_20231017 人の形をしていても、異なる生物

漫画「葬送のフリーレン」をよく読んでいる。

その中には、人のような形をしているが全く思想の異なる「魔族」が出てくる。

魔族が「言葉」を使う目的は、基本的に「人を欺いて殺し、食べる」ためだけである。

しかし、ごく少数の魔族は人間に「興味」を持ち、言葉を使って「研究」をしようとする。

人間に興味を持った魔族は、人間と共存することを模索したが、その研究のために結局多くの人を殺した。死に直面した場面でこそ、本質が現れる。

どんなにたくさん殺し、怒りや命乞いの言葉を聞いたとしても、魔族には「悪意」「罪悪感」といった、人間にとってはあたりまえの感情が、全く理解できない。

 

私も最近、なかなか会話が成り立たない人に会った。

私はその人を「多くの人間と同じ種族」だと思って接していたが、どうやら違うのではないかと感じた。

その人は、私のことを「多くの人間とは異なる」と感じ、「興味」があってアプローチしてきているようだ。

そしてその人には「多くの人間」が持っている「失礼」「悪意」といった概念が、不足あるいは欠落している。良いか悪いかではなく、そういう人は「少数派の特殊な存在」ということになるかもしれない。

「あなたのバストのサイズはいくつですか?興味を持っているから質問しているんだ、何が悪い?」のような失礼な質問(これそのものではないけれど)を、平然としてくる。

 

しかしそういった邂逅は、人類の歴史の中でもたびたび起こってきた。

新しい大陸を発見し、異民族と接するときなどである。

自分の民族の中では当たり前だと思っていたことが、他民族では全く通じないことがある。

そこには「善悪」や「優劣」というものは、基本的には無いはずであり、ただ異質であるというだけである。

そして、自分が当たり前だと思っている信条は、多くの場合、変えようとはしない。他民族から学んで、柔軟に変えていこうと思える人はごく少数であろう。

邂逅の後、最初は「興味」を持ってお互いに接するが、相容れない部分があるということが分かり、絶望や怒りや悲しみといったネガティブな感情が起こる。

そこからどのように行動するのかは、様々な場合があるだろう。

その民族を支配し自分の色に染めようとするのか。

黙ってお互いに距離を置くのか。

前者ならば、戦争は避けられまい。

 

日本でも、東京でも、それは起こりうる。同じ「人間」に見えるような生物でも、全く異なる信条で生きている場合もある。

多くの選択肢があるのだから、無理に共存することもあるまい。

変わりたくない・争いたくないのならば、異なる種族とは距離を置き、快適に生きればよかろう。

変わりたい・学びたいのならば、柔軟に、誠実に、謙虚に接するのがよかろう。

ちなみにその人に「謙虚」を伝えたが、全く伝わらなかったようだ。言葉で理解していても、実践が伴わねば意味はない。

つまり、そういう人は変わるつもりはないのだ。変わるつもりのない人に、何を教えても無駄である。

みんな少なからず異なるのは当たり前、常識も異なるだろうし、同質になる必要はない。

でもお互いに快適ではないのなら、ひとまず距離を置くのがよかろう。

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