漫画「葬送のフリーレン」をよく読んでいる。
その中には、人のような形をしているが全く思想の異なる「魔族」が出てくる。
魔族が「言葉」を使う目的は、基本的に「人を欺いて殺し、食べる」ためだけである。
しかし、ごく少数の魔族は人間に「興味」を持ち、言葉を使って「研究」をしようとする。
人間に興味を持った魔族は、人間と共存することを模索したが、その研究のために結局多くの人を殺した。死に直面した場面でこそ、本質が現れる。
どんなにたくさん殺し、怒りや命乞いの言葉を聞いたとしても、魔族には「悪意」「罪悪感」といった、人間にとってはあたりまえの感情が、全く理解できない。
私も最近、なかなか会話が成り立たない人に会った。
私はその人を「多くの人間と同じ種族」だと思って接していたが、どうやら違うのではないかと感じた。
その人は、私のことを「多くの人間とは異なる」と感じ、「興味」があってアプローチしてきているようだ。
そしてその人には「多くの人間」が持っている「失礼」「悪意」といった概念が、不足あるいは欠落している。良いか悪いかではなく、そういう人は「少数派の特殊な存在」ということになるかもしれない。
「あなたのバストのサイズはいくつですか?興味を持っているから質問しているんだ、何が悪い?」のような失礼な質問(これそのものではないけれど)を、平然としてくる。
しかしそういった邂逅は、人類の歴史の中でもたびたび起こってきた。
新しい大陸を発見し、異民族と接するときなどである。
自分の民族の中では当たり前だと思っていたことが、他民族では全く通じないことがある。
そこには「善悪」や「優劣」というものは、基本的には無いはずであり、ただ異質であるというだけである。
そして、自分が当たり前だと思っている信条は、多くの場合、変えようとはしない。他民族から学んで、柔軟に変えていこうと思える人はごく少数であろう。
邂逅の後、最初は「興味」を持ってお互いに接するが、相容れない部分があるということが分かり、絶望や怒りや悲しみといったネガティブな感情が起こる。
そこからどのように行動するのかは、様々な場合があるだろう。
その民族を支配し自分の色に染めようとするのか。
黙ってお互いに距離を置くのか。
前者ならば、戦争は避けられまい。
日本でも、東京でも、それは起こりうる。同じ「人間」に見えるような生物でも、全く異なる信条で生きている場合もある。
多くの選択肢があるのだから、無理に共存することもあるまい。
変わりたくない・争いたくないのならば、異なる種族とは距離を置き、快適に生きればよかろう。
変わりたい・学びたいのならば、柔軟に、誠実に、謙虚に接するのがよかろう。
ちなみにその人に「謙虚」を伝えたが、全く伝わらなかったようだ。言葉で理解していても、実践が伴わねば意味はない。
つまり、そういう人は変わるつもりはないのだ。変わるつもりのない人に、何を教えても無駄である。
みんな少なからず異なるのは当たり前、常識も異なるだろうし、同質になる必要はない。
でもお互いに快適ではないのなら、ひとまず距離を置くのがよかろう。