活動しすぎても偏るし、休みすぎても偏る。
100%と0%、陽と陰、二極への偏りに至らないためには、その中間が鍵を握りそうである。
中間は、二極あってこそあり得るものなので、どこが一番重要ということはない。どこも均等に重要である。均等なら重要もなにもない。
完全に無関心になるわけではなく、全体に均一に意識を向けてあげる。これも50%の考え方に近い。
そのための練習として、全身に均等に100%力を入れてみた後、全体を均等に50%まで脱力してみる、というやり方がある。
この練習は「魔法修行」にも含まれていた。最初はそこまで意味はわからない状態で実践してみたが、やってみたらわりと心地よかった。ようやく意味が分かり始めた気がする。
50%のニュートラル状態を作って、しばらく待つことで、世界の流れに気づく。そこに「やるべきこと」などの情報とエネルギーが含まれている。
100か0か、自由意志に執着してしまうことで、偏り、流れに抗って疲れ、使命を忘れ、迷妄の中で今世を終える。そうなりたくなければ、ニュートラルの門から広がる世界に意識を向けてみることだ。
ニュートラルな人間は、100を求める凡人から見ればなんともつまらなくうつるかもしれない。そんな世間の評価に惑わされ続けていれば、50%の先に広がる無限のエネルギーは垣間見えてこない。
「50%」の状態を表す表現は、「ゼロポイント」「サットヴァ」などいろいろある。そこは静止した中間のつまらない状態などではなく、両極から全てのエネルギーが流れ込む、最も活気のある状態である。ニュートラルの状態からは、どの方向にも全力で踏み出すことができる。