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独立、健康管理の必要性を意識

3年間会社員として働いた後、独立した。

主に「Webデザイナー」として仕事をしていたが、3年間とはいえいろいろな規模の会社で働いたので、Web関係の全般的な仕事がそれなりに一人で完結できるようにはなっていた。

ヨガ業界の人には興味はないかもしれないが、当時Webサイト(ホームページ)制作に関する仕事は「Webディレクター」「Webデザイナー」「コーダー」「エンジニア」、さらに顧客との接点も含めると「営業」「企画・プロデューサー」といった職種があり、ある程度分業されていた。

しかし全体を通して一人で行えたほうが意思疎通もしやすくてスピード感があり、全体のコストも下がる。「とりあえずあいつに頼んでおけば、うまいことやってもらえる。」というイメージで捉えていただけていたのだろう。個人から大企業までいろいろなお客様に恵まれた。

とはいえこのころも、全く「売り込み」的な活動はしていなかった。今と同じように、検索で見つけてもらったり、人から紹介していただいたりという形で仕事をいただいて、忙しい日々を送っていた。

ちなみに肩書はシンプルに「デザイナー」にしていた。

「デザイン」という言葉を「誰かの課題を解決するために、何かをカタチにする」という意味で捉えるとしたら、私がいまレッスンをつくる作業も「デザイン」だと思う。

Webサイトやヨガレッスンに限らず、誰かのために何かをデザインをするというのが好きで、学生のころから音楽や映像などいろいろなものを作ってきた。

必要とされたら、応える。売り込みはしない。

必要とされても、もしそのとき応えられる能力と余裕がなかったら、誠実に断る。

必要とされるように、必要とされたときに応えられるように、日々力を磨き続ける。

そういう姿勢は、いまも変わっていないと思う。

ほとんどアテもなく、ひとまずケモノ道に一歩踏み出してみたけれど、幸いなことに1年目からそれなりにお仕事をいただいた。

2年目からはパソコン教室(IT関連のお悩み相談)を始めてみたり、本業のデザイン業ではTwitter経由で集まってくれたインターン学生に教えながらチームで制作仕事をしてみたり、知人に仕事の一部を頼んでみたり、会社っぽいことをいろいろ試してみていた。

結構、忙しかった。まだ20代後半で、目立った健康上の課題はなかったけれど(実は気づいていないだけだった)、このペースで仕事をしていたら、続かないだろうなとは感じていた。

アルバイトやインターンの学生たちもそれなりに成長してくれたけれど、ずっといてくれるわけでもなく、自分が倒れてしまったら終わり。

そんなリスクを負った上で、自分から進んで踏み出したケモノ道。会社や社会に守られて埋もれるよりは、自分の旗を掲げて、自分の責任で生きていきたい。仕事がなくなって金もなくなったら、それは社会に必要とされていないということ、そのときは潔く死する覚悟もできていた。

とはいえお仕事をたくさんいただいている中で、体調を崩したらいろいろな人に迷惑がかかる。親も悲しむのでなるべく早死しないようにしよう、などとその時は考えていた。なので、自分の健康管理について真剣に考えるようになった。

(次)ジムに通い、ヨガに出会うが、この時点ではハマらず

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