動かしたいところに、中心を置いていては難しい。中心も不動ではなくいろいろ変わるのかもしれないが、迷った時に戻れる、肉体の中心となる点があるのかもしれない。それは「へそ」なのか、それとも丹田か。
ウィトルウィウス的人体図には、へそを中心とした円形の中に見事におさまった人体が描かれている。
肉体を作るための全てを運んでくれた門。へそとは「母と繋がっていた痕跡」でもあり、おそらくそれ以上の意味があるのではないかと思う。
人が中心を失う大きな要素として、腕や肩の使い方がある。
肩の正しい楽な初期位置とはどこなのか。肩は自由に動かせる反面、どこがゼロポイントの位置なのかわかりにくい。
肩の重さは、なるべく背骨で支えるべきであろう。
しかし肩甲骨は、背骨に関節として直接つながってはいない。これがよく落とし穴になる。
肩甲骨は、鎖骨を介して胸骨につながる。
では胸骨に頼ればいいかというと、胸骨の下には腹筋があるが骨はない。
胸骨は肋骨を介して背骨につながる。
肩甲骨は背骨につながっていないがゆえに、人は肩や腕を自在に使える。
しかし人々は肩甲骨を背骨に縛り付けたがり、結果として猫背や側弯症や巻き肩や肩こりなどいろいろな症状を引き起こす。
肩は、肩甲骨から鎖骨を介して一度胸の真ん中の胸骨へ中心を置き、そして肋骨を介して背骨に頼るようなイメージで支える。上から見ると、ちょうど「目」のようなエネルギーラインとなる。目の上の輪郭は鎖骨、下の輪郭は肩甲骨、黒目は第一肋骨が描く丸である。
背骨の強い中心意識があれば、肩甲骨によって背骨が引っ張られて猫背や側弯になることもなく、肩も自由に使える。
中心を見失わず、スマートに肉体を使いこなそう。
肉体に関しては、なんなら幽体よりも複雑でわからないことだらけのような気がする。だからこそ、この物質世界はつくられ、そこに肉体を置いて探究しているのだろう。謙虚に、探究を続けるべし。