何かをしようとすれば、偏りが生まれる。
偏りがなくては歩くこともできない。偏りは悪ではない。
ただ、物質世界で何かしようとし続ければ、偏りは生じ続ける。偏りが慢性化すれば、病気になる。
偏りをなくそうとして、瞑想をすることが流行っている。
しかし「瞑想しよう」とすれば、新たな偏りを生み出し続けるだけである。
「何もしようとしない」「100%委ねる」といったことは、言葉ではわかっていても難しいかもしれない。
いきなりそこに到達するのは難しいかもしれないが、そのために試行錯誤をする。
試行錯誤を繰り返した末に、試行錯誤をしないほうが良かったのだと悟る。
一見無駄のように見えるが、通らねばならない道、かもしれない。
良い姿勢をとるには、良い姿勢をとろうとしない。
全ての力みをなくしても、良い姿勢でいられるようにする。