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研究の軌跡_20231219 感覚を磨くメリットと課題

感覚を磨くメリット

感覚を磨くと何がいいのか。

ひとつは、「因果関係」に気づく精度とスピードが高まるというとてつもないメリットが挙げられると思う。

ある症状に苦しんでいる人がいたとして、その原因に、ほとんどの場合すぐに気づくことができる。

あるいはなにかエラーを起こしているプログラムがあれば、迅速に気づくことができる。

原因に対して正確に素早く気づくことができれば、対策も立てやすいし、なにより心が乱されにくくなる。

「ああ、それをやったなら、そうなるよね。」ということがすぐにわかる。「なんでこうなった??」では、大混乱である。

ただ、それは症状を持っている本人には気づけないことが多いし、本人に伝えたとしてもすぐには腑に落ちないことがほとんどである。

その原因は多くの場合、その人が拠り所にしている・執着しているものであるため、簡単には手放せないし、否定されれば反発してしまうようなものだったりする。

私のようにセルフケアを教えたりヒーリングや治療に関わる人は、そこをうまく導く技術も必要であろう。その過程では、ただ手を当てて呼吸を導いたり、正確で適切なヨガポーズを授けたりといった、非言語的なアプローチも重要となる。

自分自身のセルフケアに関しては、気づきが磨かれた上で、執着を捨てることができれば、ほぼ完璧に行えて健康を維持できる。

そう簡単ではないかもしれないし、とても簡単なことかもしれない。イメージ次第である。

感覚を磨いていく上での課題

感覚が磨かれてくると、いろいろなことに気づいてしまい、東京のようないろいろなものが多すぎる場所で生きていくのは、とてもしんどくなる。

元々、人はいろいろなことに気づく力があるのだろうけれど、それを麻痺させなければ生きていけないために意図的に麻痺させている、という場合も多いのだろう。

気づきを磨くことと、刺激に対して反応しないようにコントロールすること。それらを同時に行っていかなければ、感覚だけが鋭くなっていくと病んでしまうかもしれない。

病んでいる人々は、多数の人々が気づかないことに気づいている、鋭い感覚の持ち主であることも多い。感覚と反応をうまくコントロールすることを練習していけば、常人が成し得ないことができるかもしれない。

私も、東京がしんどいと感じることも多い。

では山奥に住むか。

山奥に住んで、自然の良い刺激に浸り、微細な世界を観察することを深めていけば、もっといろいろな能力に目覚めるだろうという予感はある。

目覚めたあと、何をしたいだろうか。おそらく、東京の人々のために何かをしてあげたくなるのだと思う。

それで東京に戻ったら、その能力は失われてしまうかもしれない。

ならばやはり東京にいながら、できるだけ感覚を洗練させていき、ほんの一握りの「気づき始めた人々」へ、良い導きの助けになれればと、今は思っている。

しんどくなったら、退避して整えられる場所があると良いかもしれない。

最近訪れた根府川道場も、とても良い場所だと思う。

しかしそういった物質的な場所ではなく、肉体を持って生まれる前にいた世界、微細な世界、魂、根源、といった、いつでも還れる場所があるのだと思う。インド哲学的に言えば、そこは歓喜(アーナンダ)に満ちているのだろう。

物質世界に、巻き込まれてはいけない。ここには、あえて身を投じて、いろいろな経験をしにきている。本来の自分は、もっと高い次元から、この世界でいろいろな経験をしている肉体を、見守っている。

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