「部分を意識した時点で、偏りが生まれる。」
何度もこの同じフレーズに気づくものの、なかなかうまく振る舞えないもの。
センターラインは、左右の偏りによって乱れる。左右が整ってこそセンターラインが見える。
左右あるもの全て、手・腕、足・脚、目・鼻・耳、脳…それらの全体を意識することで、整っていく。
肉体だけでなく、心を構成する各体も含めた自分全体を意識する。
自分だけでなく、自分を含めた全体、地域、国、地球、太陽系、銀河…。全ての点が中心であり、中心も周縁もない。二元性からの脱出。
左右がなければセンターラインも無い。あるいはどこでもセンターである。
しかし偏りは悪ではなく、「自分」が存在し活動するためには、偏りが必要。
偏りが慢性化してしまうことで、病気につながる。世界で考えれば、それは戦争につながる。
全体を意識して、整えることを思い出す。
背骨に気を通すだけでなく手足まで、湧泉・労宮、各チャクラからの気の出入りによって外界とのつながりも意識して、丁寧に意識を広げていく。