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テーラワーダ仏教(上座部仏教)における、禅定の段階

瞑想を深めていくにあたって、それぞれの段階・状態に合った、適切な行法や指導法が用いられるのが良いであろう。

「瞑想のレベル」を測るためには様々な方法が考えられるが、ここではひとつの指標として、テーラワーダ仏教(上座部仏教)における、禅定の段階についてまとめておく。

参考文献として、グナラタナ氏の「マインドフルネスを超えて」を用いた。

「マインドフルネスを越えて」バンテ・H・グナラタナ (著)

氏は、「智慧の道」ヴィパッサナー(観)、「禅定の道」サマタ(止)のそれぞれについて詳細に語っている。ここでは禅定の道についておおまかにまとめる。

このページの目次

禅定を妨げるもの、五蓋・十結(五下分結・五上分結)

禅定を妨げるものの分類も様々であり、各分類法において共通するものも多くある。それらを一覧でまとめる。

禅定の段階が深まるとき、それらの障害・煩悩を、ひとつずつ手放していくことになる。

五蓋

  • 貪欲(欲愛)
  • 瞋恚(怒り・憎しみ・敵意)
  • 惛沈・睡眠(倦怠・眠気)
  • 掉挙・悪作(心の浮動、心が落ち着かないこと。過去の間違いに対しての後悔)
  • 疑(疑い、チャレンジすることに対しての心の弱み)

束縛(十結)

五下分結・三結

  • 有身見(五蘊を自己とみなす見解、我があるという誤解)
  • 疑(真理に対する疑い)
  • 戒禁取(誤った戒律・禁制への執着)
  • 欲愛(五欲に対する欲望・執着)
  • 瞋恚(怒り、拒絶や攻撃することによってうまくいくと思ってしまうこと)

この5つを絶つことで、不還果へと到達できる。上3つを三結と呼び、預流果に置いて滅される。

五上分結

  • 色貪(色界に対する欲望・執着)
  • 無色貪(無色界に対する欲望・執着)
  • 慢(慢心)
  • 掉挙(あせり、色界・無色界における心の浮動)
  • 無明(根本の無知、ものごとをあるがままに観られない、無常・苦・無我そして四諦について盲目であること)

この5つを絶つことで、阿羅漢果へと到達できる。

五蘊

人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示したもの。色・受・想・行・識(しき・じゅ・そう・ぎょう・しき)の五種である。

五欲

五欲とは、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)という五つの感官(五根)から得られる五つの刺激(五境)、すなわち色(しき)、声(しょう)、香(こう)、味(み)、触(そく)に対して執着することによって生じる五つの欲望のこと。

五禅支

  • 尋(思考):思考をつかむ。
  • 伺(微細な思考):善い思考を維持する。
  • 喜:粗大で一時的な感覚。身体で感じる感覚ではない。「興味」としてあらわされることもある。
  • 楽:微細で持続的な感覚。
  • 一境性:心の統一、一点集中、心の穏やかさ・静けさ。

第一禅定:尋・伺・喜・楽・一境性が残る

第二禅定:喜・楽・一境性が残る

第三禅定:楽・一境性が残る

第四禅定:一境性が残る

禅定を導くもの

八正道

  • 正見
  • 正思惟
  • 正語
  • 正業(正しい行い)
  • 正命(正しい仕事)
  • 正精進
  • 正念(正しい気づき)
  • 正定(正しい心の統一)

五力

  • 信(信仰)
  • 精進(努力)
  • 念(憶念・気づき)
  • 定(禅定・集中)
  • 慧(智慧)

正定を成すには、五力が必要である。

四諦(四聖諦)

  • 苦諦(くたい):迷いのこの世は一切が苦(ドゥッカ)であるという真実。
  • 集諦(じったい):苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真実。
  • 滅諦(めったい):苦の原因の滅という真実。無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地であるということ。
  • 道諦(どうたい):悟りに導く実践という真実。悟りに至るためには八正道によるべきであるということ。

禅定の段階:世間定

禅定の段階には「世間定」と「出世間定」の段階があり、世間定の中に「色界禅定」と「無色界禅定」がある。

色界禅定に達した人は「今生で幸せに住する人」となる。

無色界禅定に達した人は「心が解放され、寂静に住する人」となる。

色界禅定

色界禅定には4つの段階がある。

第一禅定

あちこちに飛び回る思考が落ち着き、すべての生命に対する微細な善い思考だけが残る。

心は呼吸にすみやかに集中し、そこにとどまる。呼吸を感じてはいるが、もはや「形態」としてでなく印象や残像のような微細な「思考」として認識する。

感覚の世界は遠ざかるが、なくなったわけではなく背後に隠れている。

心は喜び・楽・一境性で満たされる。喜びはより粗大で一時的であり、楽はより微細で持続的である。

第二禅定

微細な善い思考も消え、心は完全に言葉や思考から解放される。

残っているのは、印象や残像のような細かな想い感覚のみ。

喜び・楽・一境性は働いている。喜びが優勢となっている。

第三禅定

喜びに飽き、「捨」の感覚が育ち始める。

より微細な「楽」の感覚が強くなり、全細胞に幸福感が行き渡る。

確信が生まれる。気づきと集中が強くなる。

身体はとても静かで、呼吸は穏やかである。

第四禅定

静寂がますます深まり、楽の感覚も消える。

捨と一境性が強まる。楽でも苦でもない、不苦不楽を感じる。

呼吸が完全に止まったように感じることもある。

気づきと集中が統合し、深く目覚めている。存在の本質(無常・苦・無我)を深く洞察することができる。

無色界禅定

第五禅定:空無辺処

心で起こることは何でも、心の空間のどこかに存在するかのように考えることができる。

第五禅定では、注意を向けているものが触れている空間(虚空)に集中する。

捨と一境性が完全に成熟し、あらゆる形態への認識を超越した領域にいる。

第六禅定:識無辺処

「虚空は無辺である」ということを認識するためには、「無辺の識」が必要。

第六禅定では、制限のない純粋な識に集中する。

第七禅定:無所有処

識は無であり空である。第七禅定では、「無」に集中する。

「なにも無いこと」を認識する。

第八禅定:非想非非想処

第七禅定の「無を認識する」ことから「無をまったく認識しない」、寂静の方へ向かう。

しかし「寂静へ向かいたい」という思いが僅かにでもあればそれは達成できない。

第八禅定の段階でも、超極微細な認識はまだ存在している。

禅定の段階:出世間定

出世間定には、預流・一来・不還・阿羅漢の4つの段階があり、それぞれに「道」と「果」があり、合計8つの段階となる。

それぞれにおいて、煩悩はひとつ以上消える。

段階を進めていくために「疑」を滅していく必要がある。「疑」を滅する道として「信」と「法」の2つの道がある。「信」のタイプの人は、仏法僧への信仰が深く、信ずることによって行を進める。「法」のタイプの人は、理性を深く用い、言葉を超えた深い理解、真の智慧を用いて、預流果に達することができる。

預流

預流に達したとき、五下分結のうち最初の三結、有身見・疑・戒禁取が消滅する。

「信」のタイプの人はまず「疑」が滅し、「法」のタイプの人は「有身見」がまず滅する、というように人それぞれ滅していく煩悩の順番は異なる場合もある。

預流道

「法(ダンマ)に達し、法を理解し、法を洞察する」。出世間レベルで八正道を実践し続ける。

を超越し、迷いがなくなる。

これまで疑は第二禅定の「喜び」で抑えられていただけだったが、ここで完全に消滅する。

「儀式儀礼を行っても智慧はあらわれない。法を実践し、正定を得ることでしか、覚りは開けない」ということを理解し、戒禁取が消滅する。

預流果

「我が実在する」という錯覚を超越したとき、預流果に達する。

輪廻転生していることを確信し、苦を滅して解脱することを望むようになる。

我であると錯覚していた五蘊は全て無常であると理解し、有身見が滅する。こうして三結が消える。

一来

一来では、怒りと欲が”弱くなる”。

一来道

五蘊を絶えず観察する。呼吸一つ一つ、どんな小さいことにも、意図的に行うこと全てに五蘊が関わっていることに気づく。

その絶え間ない流れの微細な部分に気づき、全ては常に変化している、無常であることに気づく。それによって「強い欲」が滅する。

一来果

強い欲と怒りが滅すると、一来果に入る。

欲のほうが強いなら、怒りが先に、怒りのほうが強いなら、欲が先に滅する。強い束縛のほうが後から滅することになる。

不還

不還に入ると、弱い欲と怒りも滅する。

不還道

精進・勇気・明晰さをもって出世間レベルの八正道を実践する。弱い怒りが完全に消えたとき、不還道に入る。

不還果

弱い欲が、もう生まれなくなるまで根絶されたとき、不還果に入る。

阿羅漢

阿羅漢に達すると、残りの束縛である五上分結(色貪・無色貪・慢・掉挙・無明)が滅する。

阿羅漢道

色貪・無色貪・慢・掉挙が消える。

阿羅漢果

残っていた、四諦(苦集滅道)に対するわずかな無明が消える。

このとき、仏教の究極のゴールである解脱に達する。

この道の全ての始まりは、「呼吸を観察すること」からであった。

参考文献

「マインドフルネスを越えて」バンテ・H・グナラタナ (著)

「マインドフルネス」バンテ・H・グナラタナ (著)

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