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研究の軌跡_20230427 全てはプログラムなのか

全てはプログラムのようだ。

物体、それを操る意識。

プログラムをつくったのは誰か?

プログラムのようではあるが、これは「私」なのか?

プログラムと「自我(真我)」を分ける鍵は、「反射(反応)」であろう。

プログラムは、インプットに対して、規定された反応を返す。

しかし真我の意志は、インプットなしに、無から生じる。

よく観察してみれば、ほぼ全てのことは、なにかのインプットから生じている。

自分で思いついた、と思うものも、よく観察してみれば「誰かのために」というような「きっかけ」がある。

反射を、一度全て捨ててみよ。

「反応しない」ということすらしない。

「受け流す」ことすらしない。

「水の如く」?…水というものをインプットしているので、それも惜しいが違う。

刺激に対して、無反応。「無反応をする」というわけでもない。

言葉にした時点でそれは無限の彼方へ逃げてゆく。

成すものではないが、それを成したとき、湧き出てくるものが真我の意志であろう。

刺激に対して適切な反応をするという「プログラム」との、決定的な違いを感じ取るのだ。

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