やるべきことに気づいていない者・気づいている者
やるべきことに気づいていない者は、現状維持に執着し、その愚かな自分にプライドを持ち、変化を促すきっかけの全てを否定する。
やるべきことに気づいていない者は、心乱されやすい。
やるべきことに完全に気づいている者は、心乱されない。
反射的に起こることに気づく
気づこうとすらしない者には、無理に関わらないことだ。親切にアドバイスなどする必要はない。どんなに良いアドバイスでも、愚かにも全て否定してくるだろう。それは反射的に行われてしまうので、論理が入る余地は無い。
人のふり見て我がふり直せ。もし、自分が反射的にやってしまっていることがあるなら、気づくべきである。「刺激」と「反応」の刹那を、感じ取ることができれば、反射的に行ってしまうことをやめることができる。
あなたはどうしたいのか?
気づいていないとしても、気づこうとしている者ならば、変化の余地はあるかもしれない。
「あなたはどうしたいのか?」という問いが、変化のための鍵のひとつとなる。しかし多くの場合、その者は「わからない」と答える。考えようともせず、問いすらも否定することも多いだろう。
その者にはまず、余裕が必要かもしれない。しかし、そういう者は愚かにも誇らしげにつまらないことで余裕を埋めていく。
気づいていない者に出会ったとき
聖者のように、心乱されず、そのような人すらも変えることができると思うなら、そのようにしてあげれば良い。そうでないなら、まだそこに踏み込む時ではない。関わっても自分が消耗するだけである。
全ては波であり、変化してゆく。人々の気づきも、深まる時期があれば、そうでない時期もある。心乱されず、波を眺めるとしよう。