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研究の軌跡_20231126 チャクラやナディの落とし穴

スシュムナーやチャクラへの集中が、うまくいっているときと、あまり心地よくないときがある。

何が違うのかを観察してみると、ひとつのヒントに気づく。

流れのない川はただの線であり、流れのない渦はただの点である。

ナディは、流れがあってこそ機能するものであり、道筋だけをイメージしてもそれはただ偏りを生むだけのようだ。

チャクラもまた渦として機能してこそ意味があり、点をイメージするだけではまた偏りを生んでしまう。

適切な道筋を、適切な流れが起こっているようにイメージする。適切な点に、エネルギーが流れ込み、流れ出ているようにイメージする。

ナディとは流れそのものである、と言っている人もいた。溝があって水が流れる、というのとは違うもののようだ。

チャクラは別次元と繋がる渦であり、ひとつの点から無限のエネルギーが湧き出てくるし、無限の邪気を吸い込んでくれる。

これらの流れは、物理的な呼吸と合わせることもできるし、合わせないこともできる。

スシュムナー、スシュムナー、といいつつ静止した線だけを意識しているだけでは心地よくない。チャクラ、チャクラ、といいつつ静止した点だけを意識しているだけでは心地よくない。

そのイメージはむしろ偏りと執着を生んでしまう。

少なくとも4次元以上の意識で、イメージするのが良いようである。

それを考えると、小周天やプラーナーヤーマなどは、適切なイメージで行えばとても効果的な行法になるのだろう。

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