スシュムナーやチャクラへの集中が、うまくいっているときと、あまり心地よくないときがある。
何が違うのかを観察してみると、ひとつのヒントに気づく。
流れのない川はただの線であり、流れのない渦はただの点である。
ナディは、流れがあってこそ機能するものであり、道筋だけをイメージしてもそれはただ偏りを生むだけのようだ。
チャクラもまた渦として機能してこそ意味があり、点をイメージするだけではまた偏りを生んでしまう。
適切な道筋を、適切な流れが起こっているようにイメージする。適切な点に、エネルギーが流れ込み、流れ出ているようにイメージする。
ナディとは流れそのものである、と言っている人もいた。溝があって水が流れる、というのとは違うもののようだ。
チャクラは別次元と繋がる渦であり、ひとつの点から無限のエネルギーが湧き出てくるし、無限の邪気を吸い込んでくれる。
これらの流れは、物理的な呼吸と合わせることもできるし、合わせないこともできる。
スシュムナー、スシュムナー、といいつつ静止した線だけを意識しているだけでは心地よくない。チャクラ、チャクラ、といいつつ静止した点だけを意識しているだけでは心地よくない。
そのイメージはむしろ偏りと執着を生んでしまう。
少なくとも4次元以上の意識で、イメージするのが良いようである。