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瞑想について調べ始める 〜サマタ・ヴィパッサナー・マインドフルネス〜

凝らない体・疲れない体をつくるためには、心をうまく扱う必要がありそうだ。

呼吸法やアロマなど、心を落ち着けたり活発にしたりする方法は世の中にいろいろあるようで、自分で実験し続けて、その効果は少しずつ実感できてきた。

心について調べていると、「瞑想」という単語にはよく出会う。

瞑想の効果を語っている情報源はたくさんあり、心が落ち着くというわかりやすいものから、超能力に目覚めるといったあやしいものまで幅広い。

そもそも瞑想とはなんなのか?どこから始まったものなのか?当時はまったく知識がない状態だったが、興味が向いたので調べ始めてみることにした。

私としては、「瞑想」よりも「坐禅」という単語が馴染み深かったので、瞑想もおそらく仏教が起源なのかな…としたらインドあたりから伝わってきたのかな…という推測はあった。

また、当時瞑想というキーワードで検索すると、「マインドフルネス瞑想」という単語もたびたび見かけた。

しかし、ネットの情報をみても「今・ここに集中する」といった簡単なことしか書かれていなかったので、どうもよくわからない。ちょっと源流を探ってみることにしよう。(今思えば、実践法というのは、言葉にすれば至極簡単なものなのである。実践することが大切。)

というわけで瞑想に関する本を探してみると、アルボムッレ・スマナサーラ氏の本がなんとなく良さそうなので買ってみることにした。同時に、日本人の方の本も1冊読んでみようと思い、下記の2冊を買ってみた。瞑想の源流をさぐりつつ、日本における解釈も知っておこうという感覚で選んだのだと思う。

「自分を変える気づきの瞑想法」アルボムッレ・スマナサーラ (著)

「人生の流れを変える瞑想クイック・マニュアル―心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門」地橋 秀雄 (著)

スマナサーラ氏がどこの国の人なのか、どんな宗派なのか、といったことは全く知らなかった。とりあえず仏教の僧侶っぽいし、本には「ブッダの瞑想法」と書かれていたので、源流に近いのだろうというだけの感覚だった。

かなり後に知ったことであるが、彼はスリランカの方で、つまりテーラワーダ仏教(上座部仏教・南伝仏教)の僧である。

日本に伝わってきた大乗仏教の流れの禅宗とは、行法についてはかなり異なる考え方である。とはいえ、結局のところどんな宗教も、道が異なるだけで同じ真理に至るようにできているのだ(これに気づいたのもかなり後のこと)。

彼の本は、その後数年でたくさん日本語訳されて出版されている。

この本を読んでみたところ、瞑想にはサマタ瞑想(止・集中)とヴィパッサナー瞑想(観・洞察)があるということが書かれていた。

具体的なやり方もいろいろ書かれていたので、瞑想を実践したり調べたりしていくための足がかりができた。実践法としては、以下の気づきが重要だったと思う。

  • 「無になる」のではなく、まずは「一点集中」することで雑念をなくす。
  • 「集中する対象」は、自分に合ったものを選べば良い(ここでは「慈しみの瞑想」として、特定の詩句を心のなかで唱えるといった方法が紹介されていた)。
  • 坐ってじっとしているだけが瞑想ではなく、「立つ瞑想」「歩く瞑想」など、日常の動作にも気づきを向けることによって瞑想となりうる。

実は大学生のときに山伏の方に連れられて山を歩く行を体験して、そこで「立禅」を行ったことがあり、「坐禅」だけじゃないのだなということはその時に知っていたので、歩く瞑想や立つ瞑想の方法はすぐにしっくり来た。

サマタとヴィパッサナーに分けて考えるのは、一部の仏教における考え方ではあるが、いろいろな瞑想法をみてみると、全てはこの2つのどちらかか両方を実践しているのだなという分類ができたので、よくわからなかった「瞑想法」というものがある程度はっきり捉えられるようになった。

この下地が整った上で再度、マインドフルネス瞑想を考察してみたところ、やはりそこで紹介されている瞑想法はサマタかヴィパッサナーあるいは両方を実践しているものとして分類することができた。どちらかというと「気づき(マインドフルネス・洞察力)」を磨くという点に重点が置かれているので、ヴィパッサナーにあたるものが多いと思われた。

この時点では、まだヨガと瞑想の関係性については意識していなかったが、実はヨガのほうが源流に近かったことを後で知ることになる。

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