神智学について調べていくと、「神智学協会」というものが提唱していた神智学と、そうではない神智学との区別がされているようだ。
神智学協会を創設したのはブラヴァツキー氏という女性らしい。
神智学大要の中でもたびたび名前は出てくるのだが、この著者ですらブラヴァツキー氏の文献は難解で自分のレベルではそこから引用することは控えたいということを言っているので、果たして読めるのかどうかびくびくしていたが、ブラヴァツキー氏本人による著書も1冊くらいは読んでみねばなるまい。
主著である「シークレット・ドクトリン」は結構高価だったりして手に入れにくいので、比較的簡単に手に入るものを読んでみた。
「沈黙の声」は多くの著名人も読んできたらしく結構有名な書のようだが、この元になったといわれる「金箴の書」あるいはさらに元になった「ジャーンの書」なるものが現存しないので信憑性が疑われたりもしている。ブラヴァツキー氏はこれらの書の内容を暗記しているという。しかし歴史があるかないかは別として、その内容はなかなか参考になるものだった。具体的な行法としてラージャヨーガの内容も出てくる。神智学を説明しているものというよりは、神智学を理解するためのステップとして精神的に成長するための教えなどが簡潔に記されている。
「実践的オカルティズム」も同様に、どのように修行を進めていくかといった具体的なヒントがブラヴァツキー氏自身の言葉によって書かれている。
これらの2冊は思ったよりも読みやすい本だった。しかし「シークレット・ドクトリン」や「ヴェールを剥がれたイシス」は少し目を通しただけでもかなり難解そうだったので、まだ読まないでおこう。
ブラヴァツキー氏の教えには、インドやチベットなど東洋の教えから引用されたものが多い。ブラヴァツキー氏はインドに長く滞在し、どうやら独立運動にも関わったようで、後で気づいたがガンジー自伝にも出演していたのだった。そのため神智学協会の教えにはチャクラやクンダリニーといったサンスクリット語がたくさん使われている。
チャクラに関する文献としては神智学協会のリードビーター氏の本が有名なようだ。
「チャクラ」C.W.リードビーター (著), 本山 博 (著), 湯浅 泰雄 (著)
訳者でもある本山博氏はこの本について述べることが多く、訳者後書きではサッチャナンダ氏のチャクラ理論との差異なども指摘している。
特に興味深いのは、神智学大要でも示されていたように、仙骨のチャクラ(スヴァディシュターナチャクラ)を定義していないことだ。リードビーター氏本人もそのことを明確に述べており、スヴァディシュターナチャクラを使うことは性欲を刺激するなどの危険性があると指摘している。
彼自身も後年は性的な不祥事で評価を落としているようで、身をもってその危険性を感じていたのかもしれない。
この本には、チャクラの位置やビジュアル的イメージが正確に描かれているので参考になる。ただ、それはリードビーター氏が感じ取ったチャクラシステムであり、別のシステムを感じ取っている人々もいる。
神智学協会が提唱する神智学が唯一ではない。「感じ取ったもの」が異なっていれば、別の神智学を唱える人々も出てくる。神智学協会に属していたが、出ていった人々もいる。
代表的なのはルドルフ・シュタイナー、アリス・ベイリー、そしてクリシュナムルティ。
私は「神智学大要」から神智学を調べ始めたので、理論についてはいろいろと分かってきたが、具体的な行法や実践的知識についてもう少し知りたいと思った。そのとき、シュタイナー氏の下記の本が目に止まった。
「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか (ちくま学芸文庫) 」ルドルフ シュタイナー (著)
まさに、それができたら助かります、という題名の本だった。しかしその内容は非常に難解だった。図もひとつもない、難解な文章がひたすら並ぶ本だった。シュタイナー氏自身も述べているように、彼の文章を読み解くには高度な感覚が必要なのだろう。
この本と合わせて、彼の4大主著と言われる中のもう一冊を読もうとしてみたが、こちらも難解だった。
「神秘学概論 (ちくま学芸文庫) 」ルドルフ シュタイナー (著)
太陽系の話など、神智学大要で述べられているテーマと同じ部分も多いが、結構異なることを言っている。
まずは「いかにして〜」のほうを、ノートを取りながら注意深く読んでいってみた。
チャクラのシステムも、神智学協会のものとは異なるようだ。また、シュタイナー氏の教えはインドに依存しておらず、どちらかというとキリスト教・グノーシスをベースにしていると言われるが、私には彼が独自に自ら感じ取ったものというように思えた。チャクラについてはこの本では「蓮華」と呼ばれている。
シュタイナー氏の定義する霊・魂・体の考え方は独特であり、神智学のエーテル体・アストラル体…などの考え方と近いようにも見えるが、細かく観ていくと全く異なるシステムである。
このあたりの構造理論は、4大主著のひとつである下記の本がわかりやすい(それでも難解だが)。
「神智学 (ちくま学芸文庫)」ルドルフ シュタイナー (著)
彼の蓮華を目覚めさせる行法の中には、クンダリニーは出てこないしプラーナーヤーマも出てこない。精神的な修行をしていれば、自然と目覚めていくという考え方だった。精神的な修行は、具体的には仏教の八正道などに近いものなどが用いられていた。
このあたりは、リードビーター氏の考えとは明確に異なり、リードビーター氏はチャクラの目覚めには道徳的なものは全く関係ないという考えのようである。
シュタイナーの本は総じて難解だが、講義集として書かれているものは比較的やさしい。
「シュタイナーの瞑想法 秘教講義3」ルドルフ・シュタイナー (著), 高橋 巖 (翻訳)
ただし、これも「密教」に属するものであり特定の人物にあてて書かれたものなので、行法のアドバイスなどは万人にあてはまるものではないだろう。
ちなみに同時期に、ゴーピ・クリシュナ氏のクンダリニーに関する体験談も読んだ。
「クンダリニー」ゴーピ・クリシュナ (著), 中島巌 (翻訳)
この本もクンダリニー関連の話ではよく引用される有名な本のようだが、内容はなかなか壮絶である。うかつにクンダリニーを目覚めさせたらヒドいことになる。
しかも彼はクンダリニーを目覚めさせようとして修行していたわけではなく、金剛薩埵の瞑想法のような蓮華を観想する行法をひたすら行っていたら自然に目覚めてしまったようだ。
そして、ヒドい状態を抜け出せるようになったキッカケが、左右の気道のバランスを整えたということのようだった。バランスが整わない状態で目覚めさせてしまったので、ヒドいことになったらしい。ふだん私も教えている片鼻呼吸は、やはり重要なのだなと思った。たしかに、片鼻呼吸法はシヴァナンダ氏やサッチャナンダ氏などもクンダリニー覚醒のための重要な呼吸法として挙げている。
状態が安定してからは、彼は世界の見え方が変わり、クンダリニーを目覚めさせることの必要性を感じ、正しく目覚めさせるための行法を人に教えるようになったらしい。
彼は「チャクラ」というものの重要性は全く認めていない。先人たちがチャクラと呼んでいるものは、クンダリニーが目覚めた際に体の中の神経叢が輝いて見えるようになるため、これを蓮華と表現したのだろうという見解を示している。
行法やシステムには結構な違いがあるではあるが、いずれにしてもチャクラやクンダリニーを目覚めさせたりすることは、特定の行法を行っていれば「誰にでもできる」のだという考えは、シュタイナーもリードビーターもゴーピ・クリシュナも共通しているようだった。
アリス・ベイリー氏の本はAmazonでは普通に売っていないようだったので、それ系の本屋に行って直接買うことが多かった。
紺色の本が数十冊並んでいるのだが、1冊目とされている「イニシエーション」からとても難解である。
アリス・ベイリーやシュタイナーは難解なので、読み進めていくための「入門本」「解説本」もよく書かれている。アリス・ベイリーについては、下記のシリーズがとても役に立つ。
「トランス・ヒマラヤ密教入門〈第1巻〉人間の本質Ponder on This」アリス・A. ベイリー (著)
彼女の述べていることは、ジュアル・クール大師という人物から啓示を受けて自動書記したものらしい。
そのため、同じ内容でジュアル・クール大師が書いて別の人物が編集したということになっている本もある。下記の本もよくまとまっていて読みやすい。
「至聖への道 (トランスヒマラヤ)」ジュワル クール (著), アートゥ ユリアーンス (編集), 仲里 誠桔 (翻訳)
神智学にはよくこういった「大師」が出てくるのだが、どうやらこの大師たちは肉体を持っていない人物である場合も多いようだ。ヨガナンダ氏が出会ったババジもそのひとりなのかもしれない。結局「感じ取る」存在であり、そのセンサーは人によって微妙に異なるのだろう。アリス・ベイリーはジュアル・クール大師からの教えが神智学協会のものとは微妙に異なっていたので、袂を分かつことになったようだ。
アリス・ベイリーの教えの中では、スートラートマ・アンターカラナというものが印象的だった。すなわち、高位の体と下位の体を魂(という表現が合っているかは一旦おいておいて)のもとに整列させるべし、という考え方である。これは以前書いたように私も心身をうまいこと使うためにはそのようにすべきだと思っていたので、しっくりきた。それらを整列させる、「糸」のようなものが存在するのだという。「スートラ」はヨーガスートラなどにも使われている「糸」である。
あと、アリス・ベイリーはプラーナのことをフォースと呼んでいる。スターウォーズ。
クリシュナムルティについては、ちょっと別格な感じがしたので、次回に書くことにする。