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研究の軌跡_20230730 師としての方向性とビジネス

教師としてビジネスをしていくなら、高い頻度で定期的に利用してもらうのが良いのだろう。

しかし私にはそういう気持ちがほとんどない。

なので、この話は、「一般的なヨガインストラクター」としてやっていきたい人にとっては全く役に立たないかもしれない。

独立した初期の頃の、デザイナーとして仕事をしているときからそうだった。

あまり特定のお客さんに定期的に仕事をもらおうとは考えず、むしろ手離れの良い仕事を好んでいた。

執着がないというのもひとつの表現かもしれないが、少しその理由を深く洞察してみると、ひとつ気づきがあった。

それは、私を頼ってくる人々に対して「私がいなくても大丈夫」になってくれるのを望んでいること。

これはお金を稼ぎたいひとにとっては真逆の発想かもしれない。

自分をずっと必要としてくれているお客さんがいてくれたら、商売は安泰なのかもしれない。医者が抱える矛盾にも近い。

しかしお金をいただき続けるということは、それだけ自由を失うという感覚もある。

実現したいことにお金がたくさん必要なのであれば、お金を稼ぐ時期も必要かもしれないが、私の場合はいまのところそうではないので、お金のためだけにする仕事は、できるだけ減らしてきた。

そして、本当に私がやるべきことに、なるべく時間を使うようにしてきた。

他のヨガインストラクターができるなら、一般的なヨガを教えることを別に私がやらなくても良い。

私がやってしまったら、それは他のヨガインストラクターの方の仕事を奪ってしまうことにもなる。

また、継続的に利用してもらうのは良いが、全く進歩がなかったり、たいした効果も感じていなさそうなのに利用してもらうのは、短期的なビジネスとしては良いかもしれないが、とても違和感がある。

その違和感の正体を洞察してみたとき、やはり私には「なるべく早く、私がいなくても大丈夫になってほしい」という気持ちがあるのだろうと気づいた。

だからこそ、レッスンを受けてもらうよりも、自主的な練習や日々の癖を手放すことが大切であると説き、「なるべく短期間で気づきを磨く」というところを一番重要と考えるのだろう。

期待値のミスマッチが根底にあると、そういう言葉の意思疎通もうまくいかないことも多い。それもまた気づきが大事。気づきは、思い込みや執着などの雑念を手放したときに自ら輝き出でるもの。

それなりに気づきを磨くことができたひとには、適切な時期が来て、本人も進化を望むなら、それなりに深いことをお教えできれば良いかもしれない。私も研究を深め、時期が来るまでにそういった領域の精度を上げていこうとしている。

そういった領域のレッスンでも、どこぞの教祖のように、一生ついてきなさいとか全てを捧げなさいというようなスタンスにはならないであろう。

ただ、次の一歩のための、気づきにつながるヒントを出すだけである。

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