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研究の軌跡_20250727 師を探す難しさ・組織と煩悩

弟子の準備ができたときに、適切な師匠は現れるという。

師匠は外にいるのか内にいるのか

私にもなかなか良い師匠が現れないが、瞑想をしているときに直観から学ぶことが多くなり、その師匠は物質的な人として現れるわけではない場合もあるのかもしれない。

インナーチャイルド、ガイド、そういったものとチャネリングしてつながることこそが大事と言う人もいる。

違和感のあるスクールの特徴

ただ、最近は私も少し新たな方面で、師匠や良きスクールなどを探し始めようという気になっている。久しぶりにインドにも気が向いている。

しかし、調べているとどうも違和感があるスクールが多い。

組織として続けていく・拡大していくためには仕方ないことではあるかもしれないが、やはり「来た者を囲い込もう」という意志を強く感じてしまう。

清々しく感じるスクールの特徴

私が清々しく感じるスクールや師匠のあり方としては、「その人が進みたい・進むべき道」を歩む助けになるならば、一歩先の道を照らし、背中を少しだけ押し、その助けが必要なくなったなら自由に羽ばたかせ、もはやお互いその繋がりに執着しない、といったもののような気がする。

私は少なくともそういう感じで教え続けている。1回のプライベートレッスンでその人の悩みが晴れるなら、それで一生会わなくても良い。そして今の私ではその人の役には立てないと感じたら、潔くお断りする。

スクールを曇らせるビジネスと煩悩

ビジネスとして考えるなら、そういったやり方は難しい場合も多いのかもしれない。

サブスクで月額をとるやり方が全盛の時代、繋ぎ止めて囲い込むほうが簡単ではあるのだろう。

あれこれカリキュラムと料金設定を考えて、来た者を逃さないように深みへ誘い込む。階級をつくり、講師育成をし、講師にも階級をつけ、上を目指したくなる仕組みをつくる。他者を批判して善悪を分け、この組織は善を行っていると教えこむ。宗教の作り方と同じである(それが悪というわけではない)。

選択肢の多い時代であるから、そこに必死になるのもわからなくはない。

そのように組織を作って維持または拡大しようと執着してしまう時点で、そこには煩悩の雲がかかっていることになる。

一応ちゃんとしたことは教えていて、その雲の中には確かな光があるのかもしれないが、光をつかんで羽ばたくためには多くの煩悩をかき分け振り払わなくてはならないかもしれない。

競合が増えると煩悩も増える

ヨガスクールやヨガインストラクターに関しては、最近は増えすぎている。

競合すると、教える者同士でも他者を批判したり、生徒と先生の間でも粗探しをし始めたり、いろいろな煩悩が本来の学びを妨げる。

私はずっと個人で行っているのでそういった渦にはほとんど関係ないところで教えているが、やはり「ヨガ」を教えているとなると、競合として意識されることもあるだろう。

探している人が探しやすいので、私も「ヨガ」を掲げてはきたが、教えているのはヨガに限ったものではないので、独自の旗を掲げるべきかもしれないな、と思いながらしばらく時は過ぎている。あまりいいネーミングもないので。

師匠との出会い・弟子との出会い

学びとはこういった複雑なものなのかもしれないが、もっと清々しい道はないものか。もっと清々しく教えている師匠はいないものか。

そういう人は、組織に属さず組織を作らず、「孤高の師」としてどこかにいるのであろうか。やはりなかなか世には出てこないので探すのも難しいのであろう。

私も適度に情報発信して世に出てはいるが、自分を磨きながら、今の私が役に立てるような良き弟子が探し当ててくれるのをただ待ってきた。

待つ期間もいつか終わり、師匠を探す旅、弟子を探す旅、というのに出る時期も来るのかもしれない。

ババジとユクテスワがクンブ・メーラで出会ったように、ちょうど波調が合ったりするのだろうか。

そういった微細な波・流れを感じ取るには、日々煩悩を払っておく必要があるのであろう。

参考:師匠が必要かどうか、という話

参考:研究の軌跡_20231030 適切な師匠・適切な情報に出会うために

参考:「クンダリニー・タントラ」を読む【15】第1章 6節-1:クンダリニーヨーガの準備

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