インド人にとって、ヨーガとはどういうものなのか。インドに行ったとはいえごく限られた範囲にしか滞在していなかったので、他の地域でどうなのかはわからないが、そこらじゅうで日常的にヨーガのアーサナをやっていたりするわけではないらしい。それどころかアーサナをやっていそうな人はほとんど見かけなかった。
しかし、マントラを唱えている人たちは子どもたちも含めて結構たくさんいたし、アーユルヴェーダのお医者さんも普通に街の中にいた。
体操としてのヨーガは思ったよりも浸透していないのかもしれないが、人々の生き方や道徳・宗教・哲学的な部分ではどうなのだろう。そもそもこの時点では、ヨーガがインドの文化や宗教とどういう関係があるのかはあまり分かっていなかった。
なんの記事で見たのか忘れてしまったが、インドを旅していた日本人が「ヨーガをやっているなら一度は読んでおけ」とインド人に紹介されたという「ガンジー自伝」を読んでみることにした。
「ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀) 」マハトマ ガンジー (著), 蝋山 芳郎 (翻訳)
おそらく日本で一番有名なインド人、ガンジー氏にとってヨーガはどんな位置づけだったのだろうか。それまではアヒンサー(非暴力)を実践していたということぐらいしか知らなかった。
その自伝は、波乱万丈な人生について非常に淡々と語られていて、とても引き込まれるものがあった。
まず私にとって最大のポイントとしては、彼はアヒンサーだけを実践していたわけではないということ。考えてみれば当然のことだが、ただただ無抵抗な状態でされるがままにしていたわけではなかった。彼の運動は「サティヤーグラハ」と呼ばれ、アヒンサーだけでなくサティヤ(誠実・正直)を実践していたのである。アヒンサーとサティヤは、8支則(アシュターンガヨーガ)の第1支則ヤマの中で最初の2つとして出てくる。
参考記事:ヨガの第1支則「ヤマ」を元に、人にも自分にも優しく生きる
これらの哲学を元に、非暴力・不服従運動を行っていたのである。何度も逮捕されているが、その信念は揺るがないものだったのだろう。しかし、その生き様はまさに「実験」の連続だったようだ。
敵対している人々に対して、このように接したところ、相手はこのように変わっていったという話もよく出てくる。食べ物もいろいろと変えて試した。ブラフマチャリヤ(ヤマの4番目、禁欲・節制)についてもいろいろ試している。
自分の体で実験していろいろと研究している姿勢は、私も同じだったのでなんとも言えない共感を覚えた。
アヒンサーとサティヤの実践だけでも、徹底するのはとても難しいが、自分を含めた周りの世界が大きく変わるきっかけになるような気がしていた。その仮説に対して、彼の人生はとても参考になった。とても、励まされた気がした。