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ヨガ資格(RYT200)を取りに行く3 〜ヨガ哲学を学ぶ〜

RYT200の講座に通い始めたころは、ヨガ哲学については「ハタヨガの真髄」や「インテグラル・ヨーガ」をさらさらっと読んだ程度の知識だった。

「ハタヨガの真髄_600の写真による実技事典」B.K.S.アイアンガー (著), 沖 正弘 (翻訳), 後藤 南海雄 (翻訳), 玉木 瑞枝 (翻訳)

「インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ)」スワミ・サッチダーナンダ (著), 伊藤 久子 (翻訳)

そもそも、これからやろうとしていることに、哲学が本当に必要なのかどうかわからなかった。

通っていたスタジオでは、お気に入りの先生がレッスンの冒頭でヨーガスートラの解説をすこーし入れていたが、断片的に聞くだけになってしまったので、あまり実生活などに役立てられるほどに理解はできなかった。

ほとんどの先生は、レッスンの中で哲学について触れることはなかったが、「他の人と比べず、自分と向き合ってください」「頑張りすぎないでください」くらいの話だけはしていた気がする。

今となっては、ヨーガスートラで示されているヨーガは、とてもよくできた道であると思える。神智学やグノーシスや魔術を扱っている人々なども、ラージャヨーガ(ヨーガスートラのヨーガ)を秀逸な行法であると述べている。

スクールでは、8支則の1つ目「ヤマ(禁戒)」と2つ目「ニヤマ(勧戒)」について、それぞれの5項目をグループワークなどで実体験と結びつけることで学んでいった。

参考記事:ヨガの目的・基礎知識〜自分なりに、8支則をライフスタイルへ取り入れる〜

特に重要なヤマの最初の1つである「アヒンサー(非暴力)」については、作文が宿題として出された。

ここでいろいろ調べているうちに、ガンジー氏の活動がアヒンサーをベースにしていたことを知る。このあたりから、インドへの興味がでてきていたのかもしれない。

ヨーガ実践者なら読んでおけ、というネットの情報をもとに、後でガンジー自伝をじっくり読むことになった。

「ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)」マハトマ ガンジー (著), 蝋山 芳郎 (翻訳)

「非暴力って、無抵抗でなんでも許しちゃうの?そんなの、このご時世でムリムリ!」という先入観でガンジー氏を捉えていた人は、この本を読んでみると良い。納得できないことがあれば誠実に立ち向かい、何度も投獄されている姿が描かれている。

私としてはヤマの1つ目のアヒンサー(非暴力)と2つ目のサティヤ(誠実)を共に実践できれば、いろいろなことがうまくいくと思える。

参考記事:「非暴力」と「誠実」が世界を変える

ただ、この時点では哲学をそこまで深く理解したわけでもなく、アーサナがうまくできなかったこともあってあまり余裕もなかったので、ただ課題をこなすので精一杯になっていた。

哲学の理解はさておき、グループワークで仲間たちの体験を共有できたことは大きかったと思う。

大人になってからは、過去の体験を赤裸々に共有する機会などほとんどなかった(今ではプライベートレッスンで身の上話をお聴きする機会は多いけれど)。

一緒に合宿している仲とはいえ、出会って数日程度の人に、みんなかなり深いことを共有していることに驚いた。このあたりが、このスクールのうまいところだったのだと思う。自然に、流れるように、過去のわだかまりも吐き出していく。そんなワークが散りばめられていた。

8支則の前半については、ワークを交えて大いに体験することができたが、後半のサンヤマ(集中・瞑想・三昧)についてはどうだったか。

瞑想は、毎朝20分実践していた。これも初めてのことで、良い経験になった。最初は全く集中が続かなかったり、早朝なので眠くなってしまうこともあった。

スマナサーラ氏の本などを読んでいたので、瞑想に関する知識は多少あったわけだが、ここではあまりサマタもヴィパッサナーも意識せず、対象選びもあまり意識せず、ただただ坐るという実践を続けていた。

日程後半になってくると結構慣れてきて、気持ちの良いものだった。瞑想に関しては、理論を重ねることも必要かもしれないが、何より大切なのは実践なのだろう、と思えた。

ただ最後のゴールである「三昧」については、ここではほとんど触れなかった。ヨーガスートラを深く読むようになったのも結構後のことである。

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