唐突な話だが、「年末(3ヶ月くらい後)で自分は死ぬかもしれない」という思考が頭をよぎった。
べつに病気にかかっているわけでもないが、漠然とそんなことを思ったので、そうだとしたらどうするか、色々と考えてみた。
月額課金しているサービスをみなおして、要らないものは解約したり、解約すべきものを書いてまとめておいたりした。
SNSなどのID・パスワードも書いておいた。
要らないものは捨てて、身の回りを整理した。
とはいえ、日頃からあまり余計なものを持たないようにしていたので、たいした作業ではなかった。
死んだら何を持っていけるわけでもない。たぶん親がかなしい顔で片付けにくるのだろう。少しでも片付けが楽になればいい。
死んだ後、自分がどうなるかということはとくに不安はなかった。輪廻があるのかもしれないし、無だったとしても、それはそれで。
そう、意外と、いつ死のうが、たいしたことではなかったのだ。「死を克服する」というのはこういうことなのかもしれない。まだ100%ではないかもしれないが、「いつ死んでもいい」「いつまで生きてもいい」という境地に、少しずつ近づいているのは感じていた。
では、現世でやり残したことはないだろうか。それを考えてみたとき、立川武蔵氏の「ヨーガの哲学」で紹介されていたヨーガ行者・ジュニャーネーシュヴァラの生き様が思い起こされた。
20歳そこそこで自ら肉体を離れた彼は、バガヴァッドギーターの優れた注釈書をのこしたという。
私は自分なりの教えをまとめようと思ったことはたびたびあったが、文字で表せる教えなどたいした内容にはならないとその時点では思った。それならば、他に優れた教典はたくさんある。
ならば私は、ヨーガスートラを自分なりに解釈して伝えてみよう。宮古島で最初にヨガを教わったスクールの先生も解説を書いていたというのもそのキッカケのひとつだった。しかし先生も1章までで筆が止まっていたようだったので、簡単な仕事ではないだろう。とくに1章と4章が難しい。
しかし、書き始めると、何かに導かれるように次々と筆が進んだ。新たな発見もたくさんあった。
「インテグラル・ヨーガ」などもたまーに参考にしたが、基本的にはいくつかの英訳から日本語に訳し直して、違和感のあるものはサンスクリット語から調べ直して、という形で読み進めていった。
年末までにできるかどうか微妙なところだと最初は思っていたが、12/28に終えることができた。
さて、ひとつ区切りを得たわけだが、実際死ぬのかどうかはわからない。死ななかったとしたら、名前でも変えようか?と思っていくつか号を考えていたが、年が明けたらどうでもよくなってしまった。
死を意識するということに真剣に取り組むと、「生まれた理由」といったことも考えるようになる。
参考記事:「生まれた理由」「今なにをするべきか」についての話
定められた道があるのなら、迷わず進めばいい。全ては定められていないのだとしたら、一番進みたい道を進めばいい。
どっちも結局、同じことである。雑念を捨てて、今、何をするべきか。
生まれ変わったような年明けは、とても清々しい気分だった。
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