さて、一度死んで生き返ったような心境で、今なすべきことはなにか。
もはや自分のための研究ではなく、誰かのためになる研究をしよう。実際、多かれ少なかれ全ての研究は誰かのためになっているとは思うが、その思いはより強くなった。
まず、断片的に調べていたヨーガの歴史をつないでいってみることにした。
ヨーガの起源については、紀元前2500年あたりのモヘンジョダロの遺跡に坐法を行っている行者らしき印章があったということだが、これが現代のヨガと関係があるのか、本当のところはわからない。
ヨーガという語が最初に出てくるのは、紀元前500〜400年あたりのタイッティリーヤ・ウパニシャッドであるという。
「奥義書」ということもあり、なんとなく敷居が高そうでいままで敬遠してきたが、ウパニシャッドについて調べてみよう。
「やさしく学ぶYOGA哲学 ウパニシャッド」向井田みお (著)
ウパニシャッドというのはひとつの本ではなく、200以上あるといわれるたくさんの書物の総称であり、その成立時期もまちまちである。
主要な13ウパニシャッドのうち12の抄訳が書かれている佐保田鶴治氏の本を読んでみたが、オームの詠唱や不二一元論など慣れ親しんだ話題もたくさん出てきて、たしかにヨーガにつながっているものであるという印象だった。
ただ、タイッティリーヤ・ウパニシャッドにはヨーガという語は出てくるものの、その意味はよくわからない。
それから100〜150年後に成立したと言われるカタ・ウパニシャッドの説明は、現代ヨガでも用いられている馬車と主人と御者と馬の話が出てきて、ヨーガに関する最古の説明であるといわれている。
なるほど、ヨーガの起源については「よくわからない」とされているのが、よくわかった。しかしウパニシャッドの文章はリズミカルで味がある。後に読んだブッダのスッタニパータにも通じるものがある。
ウパニシャッドのあとにつながってくるのが、紀元前5〜2世紀ごろに成立したといわれるバガヴァッドギーターであろう。
ギーターも以前さらっと読んだだけで、あまり細かく読んでいなかったので、いくつか別の訳本を読んでみた。
「神の詩―バガヴァッド・ギーター」田中 嫺玉 (著, 翻訳)
「科学で解くバガヴァッド・ギーター」スワミ ヴィラジェシュワラ (著)
訳者によってかなり表現や解釈が異なるようだ。田中嫺玉氏の文章はラーマクリシュナに関する本でも読んだが、とても読みやすい。
「科学で解く バガヴァッドギーター」は、ものすごい解説量だが、どうも行間を勝手な解釈で読みすぎている感じがして、あまり好みではなく途中で読むのをやめてしまった。
バガヴァッドギーターによって、いろいろな宗教における考え方が統合され、カルマ・ジュニャーナ・バクティの3つのヨーガの道が示された。
参考記事:ヨガの大分類(ジュニャーナ・バクティ・カルマ・ラージャ)〜体を動かすヨガ・それ以外のヨガ〜
ブッダやイエスがやっていたのもヨーガであるといわれることもあるが、たしかにギーターのくくりで考えればいろいろな宗教がヨーガの中に分類できる。
そもそもヨーガというのはひとつの宗教というわけではなく、「行法」あるいは「状態」を表すものであったり、いろいろな意味で使われる概念だったのだろう。
そして仏教などとも関わり合いながら、4〜5世紀ごろにヨーガスートラが生まれる。後にハタヨーガが生まれたときに、ヨーガスートラのヨーガはラージャヨーガと称される。
ヨーガスートラは二元論を元にしており、ウパニシャッドの不二一元論とは異なるけれど、結局至る境地は同じように思えた。
さて、ここからが問題だ。
ここまでのヨーガにはほとんど体を使った行法など出てこなかったのだが、9〜13世紀あたりにゴーラクシャナータがつくりあげたといわれるハタヨーガには、坐法を中心としたいくつかのアーサナと、浄化法や呼吸法などもたくさん登場する。
ハタヨーガの教典にもいくつかあるが、最も有名なハタヨーガプラディーピカーを軽く読んだことがある程度だったので、他のものも読んでみることにした。
「やさしく学ぶYOGA哲学 ハタヨーガ 基礎と実践 −ハタヨーガの全体像を知る3つのテキスト ヨガ・ターラヴァリー、ゴーラクシャ・シャタカン、ゲーランダ・サンヒター」向井田みお (著)
佐保田鶴治氏の本にはゲーランダサンヒターとシヴァサンヒターの訳、向井田みお氏の本にはヨーガ・ターラヴァリーとゴーラクシャ・シャタカンとゲーランダサンヒターの訳が載っていた。
ゲーランダサンヒターには、ハタヨーガプラディーピカーよりも多い32のアーサナが載っていたり、カパラバディにも数種類あったり、行法としては少し発展している感じがした。
それぞれの本には一字一句おなじ節があったりするので、前に出された書物を引用した形でまとめたのであろう。
ヨーガ・ターラヴァリーには、アシュタンガヨガで毎回唱えるマントラとほぼ同じものが出ているのだが、微妙に異なっている。パタビジョイス氏がアレンジしたのだろうか、調べてもいまのところわからなかった。
そんな感じで、現代ヨガにも見られる要素があちらこちらに見つかったのだが、現代ヨガのアーサナのほとんどは全く出てこない。
とりわけ、現代ヨガのほとんどのクラスで行っている「太陽礼拝」とはいつ作られたものなのだろうか、という疑問が生まれた。
シヴァナンダヨガとアシュタンガヨガで異なる太陽礼拝があったりするなど、歴史の古いものではないのだろうという想像はしていた。
このころ、菅野美穂さんがインドを旅をした映像を観る機会があった。
「菅野美穂 インドヨガ◇インドヨガ 聖地への旅◇美しくなる16のポーズ◇ [DVD]」
シヴァナンダアシュラムなどを訪ねて、シヴァナンダ氏の高弟であるチダナンダ氏と会う場面はとても印象的だった。死の間際にいたチダナンダ氏は消え入りそうな声で、日本人には太陽への信仰があるはずなので、太陽礼拝をしっかり行いなさいとアドバイスしていた。
シヴァナンダ氏の教えにおいて、太陽礼拝は重要なものであったのだろう。
歴史があるかどうかにかかわらず、確かにエクササイズとしても優秀なものであり、朝日に向かって感謝を送るというのはたしかに良い習慣である。
ただ、一応ここまで探ってきたので歴史を知っておきたい。
ここで、インドでなんとなく買ってきた本が役に立った。
とても分厚くてなかなか読めないでいたが、太陽礼拝の歴史に関することも書かれていたので、ようやく読むキッカケになった。
現代ヨガに関しては、下記の「ヨガ・ボディ」が有名なので、気になる方はこちらのほうが読みやすいだろう。
「ヨガ・ボディ: ポーズ練習の起源」マーク・シングルトン (著)
はっきりとした歴史はわからないが、なんとなく思ったとおり、太陽礼拝は古来のハタヨーガとは関係なく、比較的最近作られたもののようだった。このあたりは下記の記事にまとめてある。
参考記事:太陽礼拝の歴史1〜現代ヨガにおける太陽礼拝の比較〜
さて、もやもやするところは結構あるが、なんとなくヨーガの歴史を一本につなげることができた。
そういえば、ここまででとてもお世話になった佐保田鶴治氏、彼自身はどんなヨーガを実践して伝えていたのだろう。
「ヨーガ入門 ココロとカラダをよみがえらせる」佐保田 鶴治 (著)
佐保田氏自身の「ヨーガ入門」を読んでみた。そこにはエクササイズとしてのヨーガも出ていたが、まず冒頭にしっかりヨーガの歴史などについて書かれていて、沖正弘氏の本に近い流れになっているように感じた。この時期にヨーガを伝えていた人々に共通する捉え方があったのかもしれない。
佐保田氏はこの本の冒頭で、「ヨーガは高次元の宗教である」とまとめている。「宗教」という言葉の捉え方は様々なので、現代においてこの表現が最適であるかはわからないが。
彼は還暦を越えてからインド人にヨーガを教わり、若年のころから抱えていた健康問題を次々と解決したという。
私も何度も引用させてもらっている数々の本は、かなり高齢になられてから出版されたのだろう。感謝。