ヨーガの歴史をいろいろ調べてきたが、多くのヨーガ教典の中で私にとってはヨーガスートラの重要性が高いように思えたので、その解説が書けたのはひとつ達成感があった。
さて、次になにかの教典について書こうかと思ったとき、思い浮かぶのはバガヴァッドギーター、ハタヨーガプラディーピカー、あるいは日本語訳されていないクリシュナマチャリア氏の書籍やシヴァナンダ氏の書籍などもあり得る。
歴史的な重要度で言えばバガヴァッドギーターなのだが、日本人としては読みづらい部分も多く、私もまだ理解しきれておらず、ヨーガスートラよりも結構長いので、ひとまずさらっと概要を書いておいた。
参考記事:バガヴァッドギーターとは 〜様々なヨーガや宗教哲学を統合した聖典〜
クリシュナマチャリア氏の主著であるヨガマカランダも現代ヨガにつながるものが多く興味深いので、いつか紹介したいと思っているが、時代としては最近すぎるので、ヨーガスートラの後に書くにはちょっと唐突な感じもする。
参考記事:「現代ヨガの父」クリシュナマチャリア氏の主著「ヨガマカランダ」の概要
というわけで、ヨーガスートラと合わせて紹介されることの多いハタヨーガプラディーピカーについて書き始めてみることにした。
ハタヨーガプラディーピカーの概要・アーサナ一覧
ハタヨーガプラディーピカー概説一覧
ヨーガスートラは全節を扱ったが、ハタヨーガプラディーピカーは少し抜粋して概説という形にして、佐保田鶴治氏の日本語訳を引用させていただくことにした。
ただ、サンスクリット語はやはり訳者によってかなり解釈が異なるので、もう一冊日本語訳を参考にすることにした。
「サンスクリット原典 翻訳・講読 ハタヨーガ・プラディーピカー」菅原誠 (著)
英訳もいくつか読んでみたが、アーサナの説明も訳者によって結構解釈が異なるので、現代ヨガに伝わっている形とは違っていたのかもしれない。
ハタヨーガプラディーピカーはアーサナの章から始まるので序盤は書きやすかったのだが、浄化法などの部分からは結構過激な内容になってくる。
ムドラーの章になってくると、男性目線で書かれている内容が多くなっているので、女性のヨガ実践者からは白い目で見られることも多い。とくに日本でヨガはなぜか女性の間で流行っているので、ブームに水をさすようなことにもなりかねない。
なのでヨーガスートラほど順調に筆は進まず、途中で何度も更新が止まって、結局10ヶ月くらいかかってしまった。
なぜ筆が止まっていたかというと、ハタヨーガの行法には性的なものなど過激な内容が多く、ヴィヴェーカーナンダ氏が言うように本当に霊性の向上につながるのだろうかという疑問があったのもひとつだが、なぜこういった行法が生まれたのかということを調べておきたいと思ったのもある。
ハタヨーガは密教とのつながりがあるというのは薄々知っていたので、ハタヨーガプラディーピカーと並行して密教について調べていたのだが、そこにはヨーガという語やハタヨーガで用いられている語がよく出てくる上に、意味が結構異なっていることに気づいた。
たとえばヨーガでは親指と人差し指を結んで作る印をチンムドラーあるいはジュニャーナムドラーと呼ぶが、密教において「ジュニャーナムドラー(智印)」とは、性的ヨーガを行う際の女性パートナーのことを指すというのだ。また、ハタヨーガでかかとの上に会陰で座って前屈するポーズを指す「マハームドラー(大印契)」は、密教においては究極奥義を指し、流派によって具体的な行法は異なるようだ。
これは密教についてもっと調べてみねばなるまい。
ざざっといろいろな本を読んでみたが、下記の2冊が入り口として役に立った。
「チベット密教 (ちくま学芸文庫)」ツルティム・ケサン (著), 正木 晃 (著)
真言宗や天台宗のような日本に伝わった密教は、歴史上では中期密教と分類されるらしく、ここには我々も知っている通りハタヨーガのような体を使った行法はほとんど出てこない。行法としては真言(マントラ)を唱えることなどがメインとなる。
ハタヨーガの元になったのは後期密教らしく、その教典には性的な行法なども数多く出てくる。このあたりは例のオウム真理教を連想させる。彼らはこのあたりをベースにしていたのだろう。
彼らが参考にしたとも言われる中沢新一氏の書にも出会ったが、なんとも真面目な内容だった。ここには過激な行法はほとんど出てこないし、戒律についても非常に丁寧に説明してくれている。金剛薩埵の瞑想法など、重要な行法も示されている。
「虹の階梯―チベット密教の瞑想修行」ケツン・サンポ (著), 中沢 新一 (著)
密教の歴史を調べていくと、なぜ性的ヨーガが生まれたのかといったことも少しわかってきた。詳しくはここでは書かないが、戒律と性の間での葛藤が長年続いていた末に、いろいろうまいこと解釈して性的ヨーガを取り入れていった流派があったようだ。そんなにやりたかったんか、必死だな。
チベット密教の中では、ツォンカパという人物がとても重要とされている。戒律と性的ヨーガのあり方を一番うまいことまとめた人物のようだ。彼の創立したゲルク派は現在のダライラマへつながっていく。
ツォンカパ自身の著した本も読んでみたが、「こういう場合にはこうしなさい」という内容があまりに膨大すぎて読み切れていない。
「悟りへの階梯―チベット仏教の原典『菩提道次第論』」ツォンカパ (著)
ここまで細かく書かなくてはならなかった、という葛藤が密教界の中に渦巻いていたのだろうと想像される。
菩提道次第はヘビーだったが、ツォンカパ自身の人間性などは下記の本のほうがわかりやすかった。
「聖ツォンカパ伝」石濱 裕美子 (著), 福田 洋一 (著)
さて、密教についていろいろ調べてみると、ハタヨーガが生まれた理由もなんとなくわかってきた。
これを忠実に実践するひとが現代にいるかどうかは別として、現代ヨガとはかなり違っていたんだよということを伝えるためにも、ハタヨーガプラディーピカーの概説を書くモチベーションが戻ってきた。
概説を書いている間、密教以外にも、ハタヨーガの中にでてくるチャクラやクンダリニーといったものについていろいろな方面で調べた。このあたりでは本山博氏の本が一番くわしいと思っていたので、図書館にちょうど分厚い著作集がたくさん並んでいたので読んでいた。そういえば、結構前に買った本山氏の本「密教ヨーガ」というタイトルの意味がようやくつながった。この本を手にした時点では「密教」というものをほとんど知らなかった。
そして本山氏の著作集と並んでいた本に偶然目が止まり、「神智学」というジャンルに出会う。
「神智学大要〈第1巻〉 エーテル体」アーサー E.パウエル (編さん), 仲里 誠桔 (翻訳)
神智学という言葉も知らなかったのだが、読んでみるとチャクラやクンダリニーなどヨーガと同じものを扱っている。しかもヨーガの書物よりもものすごく詳細に、チャクラのような「見えないもの」について扱おうとしている学問なのだということを知った。このあたりになってくると、それが正しいのかどうか証明することは難しい。いわゆるオカルトの世界である。
しかし、その最初に出会った本の作者は、なんとも誠実に語ろうとしている気がした。この人自身に超能力があるのかどうかはわからないが、その謙虚な姿勢はよく伝わってくる。
どうやら神智学というものを扱っている人たちの間にもいくつか流派があるらしく、この人は大量の文献を元に、神智学で扱われてきた「見えないもの」に関する知識をまとめようとしたらしい。
提唱している人々は欧米人が中心で、そもそも欧米人がチャクラなどについてここまで深く携わっているということにまず刺激を受けた。しかもその内容はハタヨーガの書物よりも非常に具体的である。
神智学については、調べてみる価値がありそうだ。