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体のうまい使い方について調べ始める 〜アレクサンダーテクニーク、フェルデンクライスメソッド〜

ヨガにハマったひとは、なんとなく盲目的にのめりこんでいる人も多いように思えて、ヨガを教え始めた私が言うのもなんだけれども、そういう感じになってしまうのは違和感があった。

私は当時も今も、ヨガだけをやっているわけではないし、何事も盲信することはせず、常にいろいろな方面のことを調べてきた。

人それぞれに合ったやり方があると思っているので、私は必要以上に勧誘や宣伝などはしない。健康法や薬などを手当たり次第に誰にでも勧めている人をみると、違和感を覚える。

しかしヨガというのはどうやら、いままでDVDやヨガスタジオでみてきたモノ以外にも、とってもたくさんのやり方があるようだ。

ヨガについてはもっと調べて、自分で実践していく必要があるのだろうと感じた。

それと同時に、体の使い方やメンテナンスといったことについて調べていくと、よく見かけるメソッドがいくつかあったので、それらについても少しずつ研究していった。

研究しようとする動機としては、このころはやはりまだ自分の体がうまくつかえていなかったので、「体のうまい使い方」に関するヒントを探そうとしていた。

ヨガのアーサナを実践することで、うまい使い方は身についていくものだと思っていたが、間違ったやり方をしていれば逆に痛みなどが出てきてしまう。私にはマンツーマンで正しいやり方を教えてくれる良き先生はいなかったので、自分の違和感を頼りにしていろいろな方面にヒントを探していた。

よく見かけるメソッドの中で、初期のころに目をつけたのは「アレクサンダー・テクニーク」と「フェルデンクライス・メソッド」だった。

アレクサンダー・テクニーク

アレクサンダー・テクニークを実践している人の中には、楽器をやっている人なども多いようだ。私も楽器を弾いていて、ピアノを弾いている友人もアレクサンダー・テクニークを知っていたこともあり、興味を持った。

最初に読んだのは、下記の本。ざっくり把握するにはちょうど良かった。

「心と体の不調を解消するアレクサンダー・テクニーク入門」青木 紀和 (著)

より専門的な「音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門」という本も後に読んでみたが、内容はカタいけれど私にはとってもしっくりくる話がたくさん書かれていた。

「音楽家のための アレクサンダー・テクニーク入門」 ペドロ デ アルカンタラ (著)

ヨガとアレクサンダー・テクニークを比較した記事などはいくつか前に書いたが、いろいろと共通点があることに気づいた。

参考:ヨガとアレクサンダー・テクニークの似ている点

参考:「◯◯しないように」という指示は貴重なヒント

個人的に特に参考になったのは、下記のような点である。

  • 結果を求めない(エンドゲイニングを避ける)
  • 余計なことをやらない(インヒビション・ノンドゥーイング)
  • 動きの先端を意識する(ディレクション・リーディングエッジ)

「結果を求めない」「余計なことをやらない」といったところはヨガや禅と共通する考え方がベースになっていて、私にとっては「新たなヒントを得た」と言うよりは、「なんとなく気づいていたことを、しっくりくる表現でまとめてくれた」という感覚だった。

フェルデンクライス・メソッド

フェルデンクライス・メソッドは、アレクサンダー・テクニークほどは聞いたことがなかったが、調べているとどうもよく見かけるメソッドだったので、アレクサンダー・テクニークの本と一緒に読んでみることにした。

「フェルデンクライスメソッド入門」伊賀 英樹 (著)

フェルデンクライス・メソッドも基本的な考え方については、ヨガやアレクサンダー・テクニークと大きな違いはないように思えた。

共通する部分は省くが、特に参考になったところとしては下記のような点である。

  • グループレッスンと個人レッスンがある(Awareness Through Movementレッスン・Functional Integrationレッスン)
  • 手本を真似する形ではなく、インストラクターは言葉で指示をして、自分なりの動きを重視する

ヨガに関しても、大人数レッスンと個人レッスンの違いは私としても重要な点だったので、これらを分けて全体を構成するという考え方はしっくり来た。

また、私も必要以上に手本を見せないようにして自分なりのアーサナをやってもらうことが大切だと思っていたので、こちらも共通する感じがした。

知識を取り入れるときの姿勢の変化

いろいろなメソッドを調べていくと、私としては「基本的には同じことを言っている」と感じることが多かった。

なので、いろいろ調べてきたことは、「同じこと(大切なこと)を伝えるためのいろいろな表現が身についた」という点で役に立っている。人によって、同じ表現でも捉え方は様々なので、伝わっていないなーという場合は別の表現を用いる必要があり、常に表現の引き出しは増やし続けている。

このような感覚も私個人の感覚なので、人によっては目の付け所が異なり、みんな全く言っていることが違うじゃないか!と思う人もいるのかもしれない。「全ての宗教は同じ真理を表している」と言う人もいれば、実際の世界では宗教間で激しく争っている。

結局、一番重要なのは自分自身の「気づき」なのだ。

これまでもそうだっだけれど、これ以降はとくに、闇雲に知識を取り入れようとするよりも、まず自分の気づきを働かせて、仮説を立てて、仮説が正しかったのか間違っていたのかを判断するための情報を優先して探していこうという姿勢になった。

そうなると、「話題の書」的なものはあまり読まなくなり、欲しい本がどんどん古書などになっていって、手に入れにくくなってしまったのだが。

 

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