ハタヨーガでは、各チャクラの話よりもクンダリニー(クンダリーニ)を扱うことに重点が置かれているように思えた。
中央気道「スシュムナー・ナディ」がキレイに浄化されたとき、クンダリニーが動き出し、それによって各チャクラも賦活されていくらしい。
それだけ重要なクンダリニーではあるが、現代ヨガではほとんど名前すら出てこない。
現代でもクンダリニーをマジメに扱っている人はいないものか。調べていってもあやしい情報がたくさん出てくる。目に見えないものを扱い始めると、人はあやしくなってしまうのか。
私が「あやしい」というのは、ただ「科学で証明できない」といっているわけではない。微細身を扱う上で、科学などという枠組みは狭すぎる。
うまいこと言いくるめようとしたり、大事なことはもったいぶって伝えず薄い情報でかさ増ししたり余計にお金を取ろうとしたり、そういった不誠実な人にはなるべく関わらないほうが良さそうだ、ということである。
以前読んだ成瀬氏のクンダリニーヨーガは、あやしいところもあるけれど、ハタヨーガの古典からの引用など含めて様々な行法を詳しく説明してくれていた。
その他のクンダリニーヨーガに関する情報にはなかなかピンとくるものがなかったのだが、現在ではほとんど売られていない少し昔の本で、気になるものを見つけた。
本山博氏、彼も空中浮揚するタイプの人だが、この本はとても誠実に書かれていた。「密教(タントラ)」というものについてはこのときはほとんど知らなかったが、後でいろいろ調べることになる。
この本には、8支則などヨーガ哲学の基本から書かれており、アーサナやプラーナーヤーマやムドラーなど様々な行法も紹介され、チャクラやナディについても自分の体験とインド人の伝える理論を比較して述べられていた。私も興味を持っていた経絡や経穴との関係性も挙げていたり、最後のほうではなにやら不思議な機器を使って、科学的にチャクラやナディの存在を示そうと試みていた。
ここで最初に刺激を受けたのは、「動的アーサナ」を扱っていたことである。
アーサナといえば、そもそも坐法であったわけだし、ピタっと止まるものだと思っていたが、この本の中では足首を回したり肩を回したりといった準備運動的なものも「アーサナ」と呼んでいた。パワンムクターサナと呼ばれる一連の流れだが、ビジュアル的には結構地味である。キラキラした現代ヨガのレッスンではまず行われなさそうな動きではあるが、その重要性はとてもよくわかった。今もレッスン冒頭でこれを応用した準備運動を行っている。
パワンムクターサナ1(パワンムクタアーサナ1)〜ヨガの準備運動1〜
体をゆるめるには、「動かす」ということが重要であると考えていたので、その点では太陽礼拝のように動きながらアーサナをつないでいくヴィンヤサヨガはとても有効であると思っていた。
しかし太陽礼拝も結構ハードだし、太陽礼拝だけでは不十分な動きも結構ある。たとえば、手首など細かい部分を動かしておかないと怪我をすることもあるし、ツイストの動作がなかったりする。ひとまず体全体を動かすことのできる準備運動がほしいと思っていたので、そのための重要なヒントがこの本から得られた。
アーサナとしては現代ヨガでも見かけるものがいくつも書かれていたが、微妙に形が異なっていたり、違う名前がついていたりする。これはどういうことか。アイアンガー氏らとは別の流派のヨガがあるのか?同じ形なのに別の名前がつくのはどうしてか?
そのへんのモヤモヤした気持ちは下記の記事にも書いてある。
参考記事:「正しいアーサナ(ヨガのポーズ)」ってなんだろう?
いまだにはっきりとしたことは分からないが、どうやらクリシュナマチャリア氏の系統と、シヴァナンダ氏の系統が分かれているようだった。本山氏の本はシヴァナンダ氏の弟子であるサッチャナンダ氏の行法から引用された情報が多い。私もよく引用するオレンジ本にほとんど共通する内容が書かれている。
「Asana Pranayama Mudra Bandha」英語版 Swami Satyananda Saraswati (著)
アーサナのところでいろいろ気になることはあったが、後半ではクンダリニーヨーガの行法がいろいろと書かれていた。
チャクラを目覚めさせる順番として、第6チャクラ(第三の目)から始めるというやり方と、第1チャクラ(尾骨先端または骨盤底)から始めるというやり方があるようだ。
クンダリニーが眠っていると言われるのは第1チャクラであるが、第6チャクラから目覚めさせるべしという根拠は、まずはカルマから解放され(煩悩を呼び起こさないようにする)、クンダリニーが目覚めた時に魔道に堕ちないようしっかり制御できるようにするためなどと言われる。
後で知ることになるが、クンダリニーは自分の意志とは全く別のエネルギーとして働くものらしい。うかつに目覚めさせてはならぬというのは、どの本でも語られている。
さて第6チャクラを目覚めさせる行法をみてみると、シッダーサナなどの坐法で坐り、呼吸に合わせて会陰を収縮させるというやり方が載っていた。第1チャクラのところでもこれが用いられ、第1チャクラと第6チャクラは直接つながっているものであると捉えられている。本山氏はこれをアシュヴィニムドラと呼んでいる。肛門を収縮させるのがアシュヴィニームドラーであると定義されることもあり、会陰を用いるのか肛門を用いるのかで人によって微妙に異なるようである。成瀬氏は同様のやり方で肛門を収縮させる行法を用いており、これをムーラバンダと呼んでいる。しかしアシュタンガヴィンヤサヨガのムーラバンダはどちらかというと会陰の収縮を用いる。微妙にバラバラでややこしいので、名前に惑わされないようにしよう。
第6チャクラから行う場合もあるが、基本的にクンダリニーは第1チャクラにいるので、下から順番に意識を上へ上へと移していくことになる。あせらず少しずつ上げていかねばならない。その意識の通り道が、おそらくハタヨーガで用いられるスシュムナーナディなのだろう。たしかにやってみると難しい。スーッと道を通すことができない。そしてうまく道が通ったときは、姿勢も整い、心もとても落ちつく気がする。クンダリニーうんぬんは置いておいても、これはとても良い習慣になりそうだと思った。これもひとつの瞑想であり、分類的に言えば「イメージ(観想)を用いた瞑想」をしていることになるのであろう。
意識(気)を通すだけで、体の感覚もとても変わってくる。このあたりが微細身を扱う上での鍵になっているような気がした。
「気を扱う」という点では、「気功」も気になっていた。また、気功を調べているとたびたび「仙道」というものも出てくる。これも合わせて調べてみた。
「秘法超能力仙道入門―天地に充満する気を練成し超人になる」高藤 聡一郎 (著)
仙道の業界で有名らしい高藤氏の本を読んでみたところ、そこにはクンダリニーヨーガにとても近い行法が書かれていた。
この本では「小周天」という行法が重要なものとして挙げられている。これはまず下腹部(丹田)または胸の真ん中(膻中)に気を集め、熱感が生まれてきたらその気の場所を移し、体の表面を伝わって会陰へ導き、背中を通って上へのぼらせ、頭を通って一周してまた開始地点へもどしてくるといったものである。
体の表面を通すという点では、スシュムナーナディは脊柱内部にありそうなイメージだったので異なるが、意識の中心を動かしていくやり方はとても近いものがある。
長い歴史の中でどちらかが参考にしたのかもしれないが、インドと中国で、同じような行法が伝わってきているようだ。
また、気功の本にも小周天はたびたび出てくる。小周天およびその後の大周天に関する具体的なやり方は、高藤氏の本がとても詳しかった。
気功に関する本としては、下記のものが気になったので読んでみた。
気功では、より色々な形で気を扱う方法が伝えられている。
この本で印象的だったのは、鍼灸でも用いられる「補瀉」の考え方を用いているところである。気が足りていないところに補うのが「補」で、邪気がたまっているのを外に出すのが「瀉」と捉えると(厳密には少し異なる定義があるようだが)、まず「瀉」の行法を行い、次に「補」の行法を行うという考え方をしていた。
体がかたまっているところには、なんとなく邪気がたまっているような気がしていたので、この考え方はしっくりきた。まず、邪気を出してやわらかくしてから、新鮮な気を充填したい。
瀉の行法として用いられていたのが、スワイショウ(甩手・せいしゅ)などで、これは今でも朝にやっている。とても地味ではある。
補の行法としては、観想を用いた瞑想が数多く紹介されていた。
なるほど、この「瀉」「補」の流れはとても良さそうだ。考えてみれば、ヨーガの流れもそれに近いものがある。太陽礼拝のように動きのあるアーサナで邪気を出す「瀉」を行ってから、快適で安定した坐法で瞑想をして「補」をする。
いろいろ調べてみた結果、基本的にはヨーガも仙道も気功も同じようなことを言っていて、つながった感がある。もう少し、気と体の関係について調べていってみよう。
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