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バガヴァッドギーターを読んでみる

現代ヨガからさかのぼっていくことはいったんやめて、古典的なヨーガを調べてみることにした。

まず、ヨーガスートラと並んで有名な、バガヴァッドギーターを読んでみる。

参考記事:バガヴァッドギーターとは 〜様々なヨーガや宗教哲学を統合した聖典〜

インドではヨーガスートラよりも有名で、多くの宗教者たちが聖典として扱っているという。

いろいろな訳本が出ているようだが、ひとまず一番手頃そうなものを選んでみた。

サンスクリット語の文章は、訳者によってかなり解釈が異なるのだが、この頃はそこまで知らなかった。しかしこの本はとても読みやすい訳ではあった。

登場人物が多すぎて、第1章から挫折しそうになったが、とりあえずややこしいところは読み飛ばして第2章を読んでみる。

どうやら、アルジュナという主人公が、戦争がまさにいま始まろうとしているところで、戦いたくないとゴネているらしい。それを、御者であり師匠であるクリシュナが、いろいろと説いて、あなたは戦わねばならないと導いていく話のようである。

ヨーガの本だと聞いていたが、いきなりアヒンサー(非暴力・非殺生)に反しているのでは?と思ってしまった。

戦わねばならない理由をいろいろ挙げているが、日本人的にはすんなり受け入れがたい論理が展開されていた。

まず、輪廻を前提としていて、死んだ者は肉体を手放すだけであり、衣服を脱ぎ捨てるように肉体を捨てて、また新しい肉体を得るのだという。

つまり殺人を肯定してしまっているのだ。このあたりは一歩間違えば、例のカルト教団のようになってしまう。日本人としては、拒否反応を示す人も多いだろう。

私も最初に読んだときは、ここで違和感を覚えてしまって、しばらく読むのをやめてしまった。

なるほど、ヨーガというのはヨーガスートラの8支則のヨーガ以外にもあるのだな、そしてバガヴァッドギーターのヨーガは日本人にとっては向いていないヨーガなのかもしれない、と思ってしまった。

しかし、これだけたくさんの人が信奉している聖典なのだから、そんな単純なものではないはずだ。しばらく経ってから、再び読んでみることにした。

しっかり読んでみれば、たしかにクリシュナの意図はわかる。

戦う義務を負って戦場に立った者が、義務を捨てて戦いたくないと言ってしまったら、それは「ダルマ(法・義務)」を放棄したことになり、不徳な行いとなってしまう。日本人も数十年前までは戦争をしていたのだ。戦場で義務を果たさなければ、より多くの犠牲を生むかもしれない。

もちろん戦争は避けられるならば避けるべきであり、バガヴァッドギーターの戦争も、避けようという努力をしてきたが、どうしようもない流れによって戦争になってしまったということらしい。そして、結局はほとんどみんな死んでしまうのである。だからといって、アヒンサーを最優先すべきであるという簡単な話でもない。バガヴァッドギーターでは、生まれながらに背負った「ダルマ」を重視する。これはインドの身分制度にも関係している。そのあたりも現代の日本人的には受け入れにくいが、150年ほど前なら日本人も身分制度がガッチリしていたのだから、分からない話ではない。

このように、現代日本人としての偏見を捨てて読む必要がある。

時代や環境に合わせて変化するが、人には生まれ持ったダルマ(法・義務)があるのだということだろう。ダルマという語は本当にいろんな意味で用いられる。

このあたりの話は、沢庵禅師の「生きる道は天によって完璧に決まっていて、それが故に完全に自由だ」という話を思い出す。坐禅和讃にも「謡うも舞うも法(のり)の声」という一節がある。

参考記事:武士・禅僧の関係と、バガヴァッドギーターの状況を比較してみる

定められた行為を、結果を求めずに、ただただ行うべし。これが「カルマヨーガ」と呼ばれるヨーガらしい。

バガヴァッドギーターには、カルマヨーガ以外もジュニャーナヨーガとバクティヨーガが説かれている。ここではバクティヨーガが最上であると説かれているが、それはアルジュナにとっては、ということなのだろう。

参考記事:ヨガの大分類(ジュニャーナ・バクティ・カルマ・ラージャ)〜体を動かすヨガ・それ以外のヨガ〜

無宗教な日本人にとっては、ただ神を信じ愛せよというバクティヨーガは受け入れにくいかもしれない。キリスト教がすなわちバクティヨーガであるとも考えられている。

人それぞれにあったヨーガを選んで良いのだ。

そういう視点で読めば、なんともヒントが満載された聖典であることがわかる。

ヨーガを説くには、万人に向けてではなく、やはりマンツーマンで行われるのが一番だ。バガヴァッドギーターは、クリシュナがアルジュナに向けて行ったプライベートレッスンなのだ。それはアルジュナにとって最適な教えなのであるが、いろいろな道(ヨーガ)について解説された上で、今のおまえにはこれが最適だ、という流れで説明してくれている。その「いろいろなヨーガ」の説明が秀逸であるので、いろいろな宗教者にもてはやされることになったのだろう。

その価値が理解できたのは、最初に読んでからしばらーく経ってからだった。

他にもいくつか訳本を読んでみたが、訳者によって表現や解釈はかなり異なっているので、これから読んでみようという方はいろいろ比べてみてもらいたい。私もいつか解説を書いてみたいものだが、まだそこには至っていない。

 

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