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ハタヨーガプラディーピカーを読んでみる

現代ヨガは「ハタヨガ」なるものをベースにしていると言われている。レッスンのタイトルに「ハタヨガ 初級」などとつけているスタジオも多い。

しかし、どうも調べていくとハタヨーガというものは現代ヨガと異なる点が多数あるようだ。

ヨーガスートラやバガヴァッドギーターには、現代ヨガのようなアーサナは全く載っていない。では、ハタヨーガの古典とはどのようなものだろうか。

名前は知っていたが読んだことはなかった、「ハタヨーガプラディーピカー」を読んでみることにした。

参考:ハタヨーガプラディーピカーの概要・アーサナ一覧

バガヴァッドギーターは紀元前5〜2世紀ごろ、ヨーガスートラは4〜5世紀ごろ、ハタヨーガプラディーピカーは16〜17世紀ごろに成立したものと言われている。

ハタヨーガプラディーピカーも訳者によってかなり解釈が異なるのであるが、一番手頃そうな下記の本を選んでみた。

「ヨーガ根本教典」佐保田 鶴治 (著)

このときは佐保田鶴治氏のことも全く知らなかったが、彼の本はその後何冊も読むことになる。

この本は比較的早い段階で日本語訳として出版された資料のようで、後発のいろいろな本やWebで引用されている重要な本のようだった。ここにはヨーガスートラと、ハタヨーガプラディーピカーの訳が載っている。ヨーガスートラはインテグラルヨーガをすでに読んでいたのでいったん飛ばして、ハタヨーガプラディーピカーを読んでみた。少し古い本なのでところどころ古風な言い回しが使われているが、問題なく読んでいけた。

彼自身の序文をみてみると、そのころからヨガは単なる健康法や美容術であるという世間の印象があったようなので、ヨーガスートラやハタヨーガの真の姿を伝えたいという使命感があったらしい。とても共感する。

さてハタヨーガプラディーピカーを読んでみると、第1章からいきなり「アーサナ」である。ヨーガスートラのようにヤマ・ニヤマといった心構えの項はないのかと思いきや、第1章の冒頭部分で「ハタヨーガはラージャヨーガに至る階梯である」と述べられ、ヤマ・ニヤマを10項目ずつ(ヨーガスートラの時代では5項目ずつ)挙げているなど、ラージャヨーガとの関連性を掲げて、単なる身体的な行法ではないということを度々述べている。

とはいえ、この心構え的な部分はどうも取ってつけたような印象を受けてしまった。やはりメインは身体を扱うということになるのだろう。ただ、肉体だけでなく「微細体」も扱うことになる。

この「取ってつけた感」は、後々、密教について調べていくことでなんとなく正体がわかることになる。どうもハタヨーガの行法は、日本には伝わらなかった「後期密教」と深い関係があるらしい。

アーサナの種類をみてみると、とても少ない。そして大部分は「坐法」である。最も重要なアーサナとして挙げられているのも「坐法」であるシッダーサナであり、スゴい形のアーサナを期待していた人にとっては拍子抜けするかもしれない。

シッダーサナ(達人坐)

とはいえヨーガスートラの時代と比べれば、坐法以外のアーサナがいくつも書かれているという点では、たしかに現代ヨガに少し近づいている。

呼吸法や浄化法も数多く書かれており、むしろアーサナよりもそちらに重点が置かれているように見えた。そして最大の目的は、気道(ナディ)を浄化し、クンダリニーを動き出させることのようだ。つまり、現代でクンダリニーヨーガと呼ばれているものもあるといえばあるが、そもそもハタヨーガはクンダリニーヨーガだったのだろう。

参考:ハタヨーガプラディーピカー概説 3.1-3.5 〜ハタヨーガの原理〜

それなのに現代ヨガのハタヨガでは、クンダリニーのクの字も出てこないことがほとんどである。

そして、浄化法とともに、数々のムドラー(印)が示されている。これまではムドラーと聞くと、手で作る印しか知らなかったのだが、ハタヨーガにおけるムドラーは舌を使ったり身体全体を使ったりするらしい。

チンムドラー・ジュニャーナムドラー

その中に、ハタヨーガが批判される原因とも言われる性的ヨーガの手法も出てくる。このあたりが後期密教との類似点ではあるが、最初はなんじゃこりゃとしか思わなかった。

男性目線で書かれている行法なので、うっかり読んだ女性がショックを受けることも多いようだ。

このあたりの話は下記の記事に書いた。

参考:ハタヨーガプラディーピカー概説 3.83-3.102 〜性的ヨーガのムドラー、ヴァジローリー、サハジョーリー、アマローリー〜

ハタヨーガを調べていくと、どうもいかがわしい行法も出てくるし、浄化法も結構過激なものが多い。

これは現代ヨガとはほとんど別物だ。しかしクリシュナマチャリア氏らが引用して、現代ヨガと結びつけて伝統があるようにみせようとしたらしい。

そしてハタヨーガは古典ヨーガともほとんど別物だが、ハタヨーガを作り上げた人々は、伝統ある古典ヨーガと結びつけようとしたのかもしれない。

このあたりがわかってくると、どうもヨーガ全体がいかがわしく思えなくもない。バガヴァッドギーターを信奉するインドの偉人たちは、こぞってハタヨーガを批判する。4大ヨーガと呼ばれるのはカルマ・ジュニャーナ・バクティ・ラージャであり、ハタヨーガは入らない。

しかし、別に伝統があろうがなかろうが、どうだっていいのだ。良いものは良いし、自分に合っているのであれば、取り入れればいい。違和感があるならば、自分の感性に従って調べればいい。そしてヨーガにこだわる必要もない。

というわけで、一旦このあたりでヨーガの歴史を追うのはやめておいて(後に再開するが)、他の行法などを調べていってみることにした。特に、クンダリニーやチャクラといった言葉は、ヨーガ以外の業界でもたびたび聞く。これらに関連するものを調べてみよう。

 

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