梵:विचार vicāra/vichara
英:idea, thought, deliberation…
日:判断、思考、反射、伺
ヴィチャーラの意味
ヴィチャーラとは、「判断」「思考」「反射」などを意味する言葉。「伺」と訳されることもある。
仏教など各宗派によって様々な解釈をされる言葉であり、文脈によって意味を注意深く読み取る必要がある。
「物事を本質的に観て判断する」という意味合いの言葉であり、インド哲学においてはしばしば「ブラフマンとそれ以外の非実在の世界を識別すること」などと捉えられる。また、「善と悪を識別する」「原因と結果について熟考し、最終的な分析を行うこと」などを表すこともある。
ヨーガスートラにおけるヴィチャーラ
サビージャ・サマーディ(有種子三昧)の段階において、手放すべき心の作用が説明されており、その中の一つにヴィチャーラ(伺)がある。
ヴィタルカは粗大な対象に対する認識であり、ヴィチャーラは微細な対象に対する認識である、とヨーガスートラの中では区別されている。
- サヴィタルカ・サマーディ(有尋三昧)
- ニルヴィタルカ・サマーディ(無尋三昧)
- サヴィチャーラ・サマーディ(有伺三昧)
- ニルヴィチャーラ・サマーディ(無伺三昧)
まず粗大な対象の「名前」「形態」を説明するための言葉を捨て、本質的に観ることができるようになるニルヴィタルカ・サマーディ(無尋三昧)について述べられ、その後により微細な対象に対する三昧が定義されている。
ヴィチャーラは「反射」とも捉えられ、微細な対象に対して「反射」的に起こる心の動きを抑制することによって、本質を観ることができるようになる。
1.44節「同様にして、微細な対象に対して行われるサヴィチャーラ・サマーディ(反射を伴う三昧・有伺三昧)およびニルヴィチャーラ・サマーディ(反射を伴わない三昧・無伺三昧)は説明される。」
1.45節「微細な対象は、非顕現の状態(名称・形態・想念もない、自然の完全な平衡状態)へと終着する。」
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