梵:समाधि samādhi
英:union of the subject (the meditator) and the object (of meditation), deep concentration, meditation, settlement…
三昧。
深い瞑想(ディヤーナ)の末に、瞑想対象と一体化した状態。
サンヤマの3段階
ヨーガスートラの示すアシュターンガ・ヨーガ(8支則のヨーガ)の中では、最終の3段階のことをサンヤマと呼び、5段階目のプラティヤーハーラまでの「外的」な段階に比べてサンヤマは「内的」なアプローチであるなどと説明される。
- 6:ダーラナー(集中)
- 7:ディヤーナ(瞑想・静慮)
- 8:サマーディ(三昧)
対象に意識を置き(ダーラナー)、対象への気づきが努力せずとも絶え間なく継続した状態になり(ディヤーナ)、対象と一体化し手に取るようにわかるようになる(サマーディ)、というステップである。
サマーディの段階
ヨーガスートラの示すサマーディには、「サムプラジュニャータサマーディ(有想三昧)」と「アサムプラジュニャータサマーディ(無想三昧)」の段階がある。
以下の4つの心の働きそれぞれに、まず完全に気づくことが「有想(サムプラジュニャータ)」三昧の段階であり、それらを手放すことが「無想(アサムプラジュニャータ)」三昧の段階である。
- ヴィタルカ 論証性(尋)→ 粗大な対象(具象)、五感で感じ取れるもの
- ヴィチャーラ 反射(伺)→ 微細な対象(抽象)、「愛」「美」などといった概念
- アーナンダ 歓喜(楽) → 心そのものの純粋な働き、そこには「喜び」だけがあると言われる
- アスミター 自意識(我想)→ 「私」という意識
尋・伺に気づいた状態、そして手放せた状態について、サマーディの名前がつけられている。
- サヴィタルカ・サマーディ(有尋三昧)
- ニルヴィタルカ・サマーディ(無尋三昧)
- サヴィチャーラ・サマーディ(有伺三昧)
- ニルヴィチャーラ・サマーディ(無伺三昧)
ヨーガスートラではニルヴィチャーラ・サマーディ(無伺三昧)までの段階をサビージャサマーディ(有種子三昧)と呼んでいる。ここまではまだ、せっかく深めてきたのだがまた元に戻ってしまう原因となる種子が残っている状態である。
最終的なサマーディの様々な呼び名
いくつかの段階があり、ヨーガスートラでは最終的なサマーディを、ニルビージャ・サマーディ(無種子三昧)またはダルマメーガ・サマーディ(法雲三昧)と呼ぶ。
ラーマクリシュナらは最終的なサマーディをニルヴィカルパサマーディ(無分別三昧)と呼ぶ場合もある。
テーラワーダ仏教の「禅定」との比較
マインドフルネスの源流の一つにもなった、テーラワーダ仏教の「禅定」はサマーディと比較されることも多い。
禅定にも、いくつもの段階が示され、煩悩を一つずつ手放していくことで深まっていく(以下関連記事参照)。
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