心身の様々な不調は、「偏り」の慢性化によって起こります。
偏りを起こしているのは、「明確な意志」の場合もあれば、「無意識にやってしまっていること」もあり、むしろ後者の方が大きい場合が多いです。
無意識の偏りを改善するには、無意識の力をうまく使うのが有効です。
心身の不調の主な原因、無意識の偏り
たとえば無意識に右に偏っていることに気づいたとしても、「じゃあ左に偏ってみよう」と意識的に逆側の偏りを追加しても、うまくいかないことも多いでしょう。
それよりも「無意識に右に偏っていたのをやめる」という引き算の発想のほうが根本的な解決になりますし、実際はそのほうが労力を必要としないはずです。
無意識の偏りに気づいてコントロールするには、「意識の働きを鎮めて待つ」という方法が用いられます。
余計なことをしないで待っていれば、心身は自然と整っていきます。「偏っていたものを、より偏らせる」ほうが難しいはずで、「元に戻ろうとする」ほうが楽で自然な働きであるということです。
このような心身の偏りを自然に整える働きを「導き出す技」があるので、それらを知っておくと良いでしょう。
流派によって異なるやり方や呼び名がありますので、いくつか紹介します。ただ、後で原理について考察してみますが、これらは基本的に同じことをしていると思われますので、自分に合ったやり方を選ぶと良いかと思います。
活元運動
野口整体の野口晴哉氏は、心身の偏りを自然に整える動きを導き出す技法を「活元運動」と名付けました。
活元運動のやり方
活元運動自体は、自然な動きなので決まった形はありません。そのため、「活元運動のやり方」という決まったものはありませんが、以下の「活元運動の誘導」を行う技法が野口氏によって示されています。
まず、邪気の吐出を以下の流れで行います。
- 正座などの姿勢で、両手でみぞおちをおさえて、体をこごめるようにして息を吐き、邪気を出しきるようにイメージする。みぞおちが柔らかくなって、あくびが出てくるようになったら終わり。
- 背骨をねじる。自分の背骨を見るように、上体を伸ばし、力を入れて左へねじり、急に力を抜いて戻る、右も同様に行い、左右7回ずつ行う。
その後、以下の訓練法を行います。これについては細かいニュアンスがあるので、整体入門/野口晴哉(著)からご本人の語り口を引用してみます。
(1) 徐々に息を吐きながら、腰指をにぎりしめ腕を上げ、体をうしろへ反らしてゆく。
(2) 奥歯をかみしめ、首から背骨に力をギューッと入れるようにして、入れきって急に力を抜く。もう一回…もう一回やります。三回で終わります。人間の運動は息をつめる時に力を入れるのです。力を抜くと息を吐いてしまうのです。それをアベコベにやるのです。息を吐きながらやる。それが特殊なやり方なのです。こうすると背骨に運動の起こるような必要が出てくるのです。
(3) 手を上向きに膝の上におき、目をつぶります。目をつぶって首を垂れる。そして自分の背骨に行きを吸い込むような、背骨で呼吸するようなつもりでいる。すると少しずつ体が動くような感じがして、やがて動き出してきます。あとはそのまま何もしない、ポカーンとして体を自然に任せきる。
(4) 動き出したら、その動くままに、動いている処に息を吸い込むようにすると、もっと動きが大きくなってきます。首が動いたら首へ、腰が動いたら腰へというように息を吸い込むようにするのですが、動き出したら意識してそういうことをしない方がよい。運動が出て止めようと思っても止まらなくなるほど、大きくなることもあります。また長い時間動き続けることもありますが、止めようとしないで、終わるまでやるのがよいのです。長い短いはあるが、止まらないということは全くありません。
(5) 終わったら瞑目したままで、しばらくポカンとしております。一分でも二分でもよい。活元運動後のポカーンは、他の時のポカーンとは全く違います。もし途中でやめなければならない時は、息を何回も吸い込んでこらえ、徐々に運動が静かになって止まったら、これをやって、眼を片目ずつ開けます。目を開いたら、もう一回静かに息をお腹に吸い込み、耐えてからゆっくり吐きます。これでおわりです。
特徴的なのは、「力を入れて、一気に抜く」ということをよく行っているようで、操体法などとも共通するものを感じます。
そして、なるべく動きが止まるまでそのままにしておき、途中で止めなくてはならない場合の方法も示されています。後で紹介する自発動功にも、終わりの作法がしっかり示されているようでした。
この本については、以下の記事で紹介していますので、詳しく知りたい方は参考にしてみてください。
書籍紹介:整体入門/野口晴哉(著)|自己治癒力を高める|書籍紹介
相互運動
また、活元運動には二人で行う「相互運動」もあり、一人でやるよりも動きが生じやすい場合もあります。この本では、相互運動のやり方も詳しく書かれています。
私もヒーリングをしていると、受けている方が自然にゆっくり動き始めることがよくあります。その動きはよく回転運動になっていることがあり、後で紹介する魂振りの動きにも近いもののように思えます。
自然に生じる動きではありますが、できるだけ雑念がなくリラックスした状態であるほど、正確に偏りや歪みを整える動きが起こるようです。
自発動功
気功では、このような技法を「自発動功(自発動)」と呼びます。
気功には基本的に、まず邪気を出す「瀉(しゃ)」を行った後に、新しい気を入れる「補」を行うという流れがあります。
参考:なかなか治らない痛みなどに、「虚実」「補瀉」を意識して適切な治療をする
自発動功もやはり邪気を出すことから始まり、活元運動と共通するものがあります。
自発動(自発動功)のやり方
基本的なやり方の順番は、以下のようになります。
- 甩手(スワイショウ)などの瀉の技法を行う。
- ゆったりとリラックスして立ち、站椿法など補の技法を行う。
- 自然に身体が動き出し、自発動功が始まる。
- 自然に動きが止まったら、収功を行って終わる。
甩手(スワイショウ)
甩手(スワイショウ)は、立った状態で腕を大きく前後に振って邪気を出す技法です。
前方へ大きく振るときに息を大きく吐くようにします。
私もよく朝にこれを行っています。
站椿法(たんとうほう)
站椿法(たんとうほう)あるいは站椿功は、立った状態での瞑想法で、色々なものがありますが、以下の三円式站椿法が定番のやり方のひとつです。
- 足を肩幅に広げて、つま先は平行に並べて立つ。
- 少し膝を曲げて腰を落とし、体を少し前に傾ける。
- 肩の力を抜き、下腹部の前方あたりに手で大きなボールを抱えているようにイメージしながら、丹田呼吸を続ける。
ちなみに以下で紹介している気功革命の本では「三円式」の意味は詳しく説明されていないのですが、両足で作る円・両手で作る円・小周天(体の中央の、腹側の任脈と背側の督脈を結ぶ、上下の円)の3つの円をイメージするということです。
自発動功
自発動功の動きは決まっていません。その人の今の状態に合った動きが、自然に起こります。
また、自発動功には、瀉の自発動功と、補の自発動功があると言われます。
瀉の自発動功は比較的激しい動きになることもあり、補の自発動功は比較的穏やかな動きになります。
補瀉どちらの自発動功が現れるかは、その時の状態によって異なると言われますが、これも理にかなっているように思えます。気が滞っていて過剰な状態のときは、自然に瀉の動きが生まれ、気が足りていなくて弱っているときは、自然と補の動きが生まれるということになるでしょう。
収功
収功は、手の中指を丸めて、同じ手のひらの真ん中を少し痛いくらいに押して、その刺激で元の意識に戻ってきたら、深呼吸をしながら数回膝を屈伸する、といったやり方です。
この収功をしっかり行って、自発動功を終わるようにしましょう。
詳しいやり方などについては、以前紹介した以下の書籍を参考にしてみてください。
魂振り(霊動)
スピリチュアル・ヒーリングを長年行ってきた小菅太玄氏は、「神様のエネルギーが入って来たことにより、自然と体が動く」ことを魂振り(霊動)と呼んでおり、これも同じようなものと思われます。
「魂振り」については、いろいろな定義のある言葉なので、これは小菅氏の解釈ということになるかと思います。
小菅氏は、これが神社などで自然に起こり、「心身を癒やし、活力をもたらすことができる動き」であるとしています。
動きとしては、北半球では右回り(地面に向かって)に体がゆっくり回るように動くと説明されています。左回りの場合、エネルギーが逃げていく動きになると説明されています。
魂振りのやり方
具体的な方法は、「神前で祈る」というだけです。
それだけでは動きが生じない人は、少し自分の意志で右回りしてみたりするのも良いようです。
またその他にも、手でエネルギーを受け取る形(「ちょうだい」の形)にしてしばらく待つ(神前では他の人のじゃまになるので境内の安全な場所で)、といった方法も、以下の書籍で紹介されています。
なぜこれらの技法が有効なのか、原理の考察
これらの技法を比較してみると、以下のような共通する流れがあるかと思います。
- 溜まったものを出す。
- 何もせずリラックスして待っていると、自然に心身を整える動きが始まる。
- 心身が整ってくると、自然に動きが止まる。
- 締めの動作をして終える。
なので、瞑想や呼吸法を行っているときも、こういった心身を整える動きが、自然に起こる可能性はあります。
その場合は、動くにまかせておくのも良いかと思います。いずれ整ったら、動きは止まります。もし最初から偏りや歪みが少ない状態で瞑想や呼吸法に入れば、整える必要はないので動きは起こりません。なので、体を動かすヨガなどをしてから瞑想に入るのは、理にかなっているように思えます。
神社でこれが自然に起こる原理は、滞った執着のエネルギーを手放し、余白ができたところに神様のエネルギーが入るイメージかと思われます。右回りということは、空から降りてくるイメージかもしれません。
そういった目的であれば、神社では利己的な願い事をするのではなく、祓詞を唱えるだけでも良いのかもしれませんね。
「祓い給え、清め給え。神ながら、守り給え、幸え給え。」と。
ヨガに含まれる、これらの技法と共通する要素
ヨガではまず腹式呼吸、カパラバティなどを行って邪気を出し、そして太陽礼拝で呼吸をしながら流れるように動くことも邪気を出すことにつながるようなイメージがあります。
また、ハタヨーガなどに様々な浄化法があるのは、まず溜まったものを出してキレイな状態にするという意図が感じられます。
それらの浄化法・瀉法を行ってから、シャヴァーサナや瞑想を行うことで、新たなエネルギーがチャージされます。
また、色々なヨガポーズを、丹田に意識を置きながらある程度の時間キープすることは、新しい気を蓄える補法のイメージになります。
ヨガを行うときも、ただ形を真似て行うだけではなく、「そのようなイメージ」で行うことで、「そのような効果」が現れやすくなります。
また、以下の昔の記事でも書きましたが、ポーズを行いながら自然に体が動きたくなってきたら、もぞもぞ動かしてみたりしても良いと私は思います。
どの技法を選ぶにしても、無意識の偏りを改善するには、無意識の動きを導くことがカギになります。
滞ったものを手放すコツを学び、そしてなるべく普段から偏りが慢性化しないように、心身をうまく使えるようになっていきましょう。



