梵:वितर्क vitarka
英:argument, purpose, reasoning…
日:推論、議論、考察、尋
ヴィタルカの意味
ヴィタルカとは「推論」「議論」「考察」などを意味する言葉。「尋」と訳されることもある。
「適用された思考」などの意味を表すこともある。
仏教など各宗派によって様々な解釈をされる言葉であり、文脈によって意味を注意深く読み取る必要がある。
「聖典によって伝えられる疑いのない知識」といった意味で用いられることもあれば、「手放すべき心の作用」として用いられることもある。
ヨーガスートラにおけるヴィタルカ
サビージャ・サマーディ(有種子三昧)の段階において、手放すべき心の作用が説明されており、その中の一つにヴィタルカ(尋)がある。
- サヴィタルカ・サマーディ(有尋三昧)
- ニルヴィタルカ・サマーディ(無尋三昧)
- サヴィチャーラ・サマーディ(有伺三昧)
- ニルヴィチャーラ・サマーディ(無伺三昧)
何かについて理解しようとしたとき、言葉にしてしまった時点で、すでにその対象に対する認識は多様に分かれてしまい、本質的な「知」を見失ってしまう。
言葉や表現を用いず、そのものの本質を理解している状態が「ニルヴィタルカ(無尋)」となる。
1.42節「対象の『名前』『形態』『知』が混入した状態のサマーディを「サヴィタルカ・サマーディ(有尋三昧)」と呼ぶ。」
1.43節「記憶が浄化され、集中対象の『名前』『形態』に関わらず『知』のみが輝く時、これがニルヴィタルカ・サマーディ(無尋三昧)である。」
ヴィタルカ・ムドラー
仏像によく見られる、手を心臓のあたりに掲げて手のひらを外側に向け、親指と人差し指を結んで他の三指は伸ばす、という形の手印(ムドラー)をヴィタルカ・ムドラーと呼び、仏が衆生に向かって、説法、知的な談話、釈迦からの智慧の伝達を行っていることを表している。
右手で行われることが多いが、左手や両手で行っている仏像も見られる。
手の形としてはチンムドラーやジュニャーナムドラーと近いが、指の意味などについては様々な解釈がある。
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