研究の軌跡 目次へ 目的別メニュー

禅・仏教とヨーガの関係について調べる2 〜白隠禅師の呼吸法・瞑想法〜

体にばかり意識が向いていると、なかなか固いところがやわらかくならない。

根本的な癖を直すには、心にも目を向ける必要がある。

そして心と体をつなぐための重要な技法として、呼吸法と瞑想法がある。

ところで、ヨーガとルーツを同じくする禅・仏教には、どんな呼吸法や瞑想法があるのだろう。

調べていくと、白隠禅師の名前が良くでてくるようなので、下記の本を読んでみた。

「白隠禅師—健康法と逸話」直木 公彦 (著)

禅は鎌倉時代に武士を中心として広まったが、白隠禅師は江戸中期という比較的近い時代に、庶民にまで禅の心を伝えた人物らしい。

この本に目をつけたのは、その時私は「内観」というのをキーワードにしていたからというのもある。

ひたすら自分の心と体を観察し、癖に気づき、なおしていく。パソコンを使った仕事中でも、歩いているときでも、何気なく坐っているときでも、なるべく内観へ意識を向けるようにしていた。

この本には「内観の秘法」なるものが書かれていた。詳しくはここでは述べないが、ヨガのシャヴァーサナ(屍のポーズ)へスムーズに入るために私が行っていた方法に近いものがあった。そして腹式呼吸(丹田呼吸法)を用いたり、句を頭の中で唱えたりする。

シンプルだが、とても重要な健康法だ。お金も器具も必要ないし、江戸時代の庶民でも行える。現代人が消費する様々な健康グッズやキラキラしたエクササイズなど必要ないのかもしれない。

内観の秘法は、アーサナ・呼吸法・マントラを組み合わせた瞑想法とも言える。

その他の瞑想法として、イメージ(観想)を用いた「軟酥の法」も紹介されていた。

参考:軟酥の法 〜万病を治す?白隠禅師の瞑想法〜

瞑想法にはいろいろなものがあり、「心の働きを滅却していくもの」と「心の働きを用いて明確にイメージしようとするもの」という分け方もできる。ヨーガスートラのラージャヨーガでは、これらを明確に区別してはいないが、まずは後者を用いて集中(ダーラナー)を深め、最終的には前者の境地に至るように導いている。ハタヨーガなど密教系の瞑想では、チャクラの蓮華やマンダラなどのイメージが用いられることが多い。

参考:ヨーガスートラ解説 1.33-1.39 〜集中・瞑想する対象の選び方〜

軟酥の法は、イメージを用いた瞑想法であり、健康法でもある。病気になっても医師に診てもらえず薬も買えないような庶民にとっては、希望の光だったのかもしれない。

また、武士道と結びついて伝わっていた禅の心をわかりやすく表現した教えとして、白隠禅師の「坐禅和讃」も有名なようだ。

坐禅和讃で言っていることは、ヨーガ哲学と通じるものがあり、用語も同じものがいくつも出てくる。日本人にとっては、心にスッと入ってくるものがある。

リズムも良く、これを唱えるのを日課にしていた時期もあった。ネットで探せば、いろいろなお寺のお坊さんが唱えている音声が見つかる。

参考:坐禅和讃が伝える、自然な生き方 〜禅とヨーガ〜

禅・仏教とヨーガは明らかに共通する部分があるようだが、日本に伝わる過程でどんな変化があったのだろうか。さらに詳しく調べていきたいところだが、そこにばかり時間を使うわけにもいかないので、まずは自分を整えることと、人に教えるときに必要な知識から、取り入れていくことにする。

しかし少し調べただけでも「ヨーガ」とは様々な意味で用いられる言葉であると気づく。

いろいろな宗教において用いられた「行法」あるいは心が一点に定まった「状態」を表す場合もあり、「ヨーガ」という単一の流派や宗教があるわけではないようだ。

そういう意味では「仏教」と「ヨーガ」を並列に比較するべきではないかもしれない。

そういったところがまとまってようやく理解できたのは結構後のことであり、この時点ではまだヨーガとはなんなのかモヤモヤっとしていてよくわからないものだった。

 

(次)アシュタンガヨガの資格を取り、教え始める

(前)クラニオセイクラルセラピー・オステオパシーについて調べ、骨と筋膜を意識する

研究の軌跡 目次へもどる

サイト内検索

コラムを探すページへ