オンラインレッスン ヨーガスートラ日本語訳
ヨーガスートラ解説 1.33-1.39 〜集中・瞑想する対象の選び方〜

ヨーガスートラ解説 1.33-1.39 〜集中・瞑想する対象の選び方〜

瞑想する対象は、人それぞれで良い

ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。

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英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/

訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda

Sutra 1.33 慈・悲・喜・捨

मैत्रीकरुणामुदितोपेक्षणां सुखदुःखपुण्यापुण्यविषयाणां भावनातश्चित्तप्रसादनम्॥३३॥
maitrī karuṇā mudito-pekṣāṇāṁ-sukha-duḥkha puṇya-apuṇya-viṣayāṇāṁ bhāvanātaḥ citta-prasādanam ॥33॥

(読み)マイトリー カルナー ムディトーペークシャーナン スッカ ドゥッカ プンニャ アプンニャ ヴィシャヤーナーン バーヴァナータハ チッタプラサーダナン

(訳)慈・悲・喜・捨(他人の幸福を慈しみ、不幸に同情し、有徳の人物と関わることを喜び、不徳の人物とは関わらないこと)の習慣を養うことは、心を本来の平静な状態に保つ。

[SS]: By cultivating attitudes of friendliness toward the happy, compassion for the unhappy, delight in the virtuous, and disregard toward the wicked, the mind-stuff retains its undisturbed calmness.

[SS訳]: 幸福への親愛・不幸への同情・有徳への喜び・不徳への無頓着によって、心は本来の落ち着きを保つ。

[SV]: Friendship, mercy, gladness, indifference, being thought of in regard to subjects, happy, unhappy, good and evil respectively, pacify the citta.

[SV訳]: 友愛、慈悲、喜び・無関心、幸福・不幸・善悪それぞれへの思念は、チッタ(心の作用)を鎮める。

Sutra 1.34 呼吸をコントロールする

प्रच्छर्दनविधारणाभ्यां वा प्राणस्य॥३४॥
pracchardana-vidhāraṇa-ābhyāṁ vā prāṇasya ॥34॥

(読み)プラッチャルダナ ヴィダーラナービャン ヴァー プラーナスヤ

(訳)または、心の平静はコントロールされた呼気と保息によって保たれる。

[SS]: Or that calm is retain by the controlled exhalation and retention of breath

[SS訳]: または、その平静はコントロールされた呼気と保息によって保たれる。

[SV]: By throwing out and restraining the Breath.

[SV訳]: 放擲と保息によって。

Sutra 1.35 高度な感覚

विषयवती वा प्रवृत्तिरुत्पन्ना मनसः स्थितिनिबन्धिनी॥३५॥
viṣayavatī vā pravr̥tti-rutpannā manasaḥ sthiti nibandhinī ॥35॥

(読み)ヴィシャヤヴァティー ヴァー プラヴルッティ ルトパンナー マナサハ スティティ ニバンディニー

(訳)または、微細な対象への感覚に集中することが心の安定をもたらす。

[SS]: Or the concentration on subtle sense perceptions can cause steadiness of mind.

[SS訳]: または、微細な対象への感覚に集中することが心の安定をもたらす。

[SV]: Those forms of concentration that bring extraordinary sense perceptions cause perseverance of the mind.

[SV訳]: 特別な感覚をもたらすこれらの集中の方法は、不屈の心をもたらす。

Sutra 1.36 内なる光

विशोका वा ज्योतिष्मती॥३६॥
viśokā vā jyotiṣmatī ॥36॥

(読み)ヴィショーカー ヴァー ジョーティシュマティー

(訳)または、永遠に輝く至上な内なる光に集中することによって。

[SS]: Or by concentrating on the supreme, ever-blissful Light within.

[SS訳]: または、永遠に輝く至上な内なる光に集中することによって。

[SV]: Or (by the meditation on) the Effulgent One which is beyond all sorrow.

[SV訳]: または、全ての悲しみを超える光り輝く存在に瞑想することによって。

Sutra 1.37 無執着な心

वीतरागविषयं वा चित्तम्॥३७॥
vītarāga viṣayam vā cittam ॥37॥

(読み)ヴィタラーガ ヴィシャヤン ヴァー チッタン

(訳)または、知覚できる対象への執着から完全に自由な心に集中することによって。

[SS]: Or by concentrating on a great soul’s mind which is totally freed from attachment to sense objects.

[SS訳]: または、知覚できる対象への執着から完全に自由な、大いなる魂の心に集中することによって。

[SV]: Or (by meditation on) the heart that has given up all attachment to sense objects.

[SV訳]: または、全ての知覚できる対象への執着を手放した心に対して瞑想することによって。

Sutra 1.38 夢や深い眠り

स्वप्ननिद्राज्ञानालम्बनं वा॥३८॥
svapna-nidrā jñāna-ālambanam vā ॥38॥

(読み)スヴァプナ ニドラー ンニャーナーランバナン ヴァー

(訳)または、神々しい夢や深い眠りにおける経験に対して集中することによって。

[SS]: Or by concentrating on an experience had during dream or deep sleep.

[SS訳]: または、夢や深い眠りにおける経験に対して集中することによって。

[SV]: Or by meditating on the knowledge that comes in sleep.

[SV訳]: または、眠りの中で得られる知に対して瞑想することによって。

Sutra 1.39 好きなものを選んで良い

यथाभिमतध्यानाद्व॥३९॥
yathā-abhimata-dhyānād-vā ॥39॥

(読み)ヤタービマタ ディヤーナードヴァー

(訳)または、どんなものでも、自分を高めてくれるものを選んで瞑想することによって。

[SS]: Or by meditating on anything one chooses that is elevating.

[SS訳]: または、どんなものでも、自らを高揚させるものを選んで瞑想することによって。

[SV]: Or by meditation on anything that appeals to one as good.

[SV訳]: または、どんなものでも、良さそうに見えるものに対して瞑想することによって。

解説・考察

ヨーガにおける瞑想(ディヤーナ)は、集中(ダーラナ)が絶え間なく連続した状態を表します。

集中するのは努力が要るので、練習が必要です。練習を積んで、絶え間なく集中できるようになった状態が、瞑想です。

しかし集中する「対象」が、全く興味のないものであったり、間違ったものやあやしいものであったら、それは良い瞑想にはなりません。

1.33〜1.39節では、その対象の選び方について例を挙げてくれています。

1.33の「慈悲喜捨」は仏教でも言われている概念ですが、どちらが先かはわかりませんが、仏教から拝借した概念であると説明されることもあります。

1.34では呼吸のコントロールが有効であると述べられています。具体的な呼吸法(プラーナーヤーマ)についてはヨーガスートラの中では説明されていませんが、「息を止める(クンバカ)」ことの重要性は感じ取ることができます。後世のハタヨーガの教典の中では、様々なクンバカの方法が説明されています。

1.35でも出てくる「微細な対象」という表現は、ヨーガの説明の中でよく出てくる言葉です。私達が見たり聞いたり五感で知覚できる対象は「粗大な対象」などと表現されます。

つまり五感以外の高度な感覚によって知覚できる、「愛」や「美」といった抽象的なものなどを含んだ対象について、深く理解するということが「微細な対象への感覚に集中」することのようです。

1.36のように光り輝くものや温かいものなどをイメージするのは、気功などの瞑想でも行われるやり方です。それは天空の神様としてイメージするよりも自分の中にいる神様としてイメージするほうが、日本人としてはしっくりくるのではないかと思います。

1.37では再び「知覚できる(粗大な)対象」が出てきますが、これらに対しての執着を完全に捨てた心とはどんな感じだろう?とイメージします。集中は連続すると瞑想となり、瞑想が自然に行われるようになり、対象と一体化したような状態が三昧であるとされます。

執着を捨てた自分、アーサナを軽々と行っている自分、まずはイメージして、そのイメージと一体化していく。いわゆるイメージトレーニング的なものも同じような考え方ですね。

1.38では、夢や眠りについて述べられています。深い眠りで得られる経験、これは「あーよく寝た」という経験のある方なら誰でも分かることですが、とても安らかで幸せな状態ですね。夢というのは解釈の難しいものですが、サッチダーナンダ氏は現実離れした神々しい夢などを指しているようです。svapnaはdreamingもsleepingもどちらの意味も含むようで、ヴィヴェーカーナンダ氏は夢に関しては訳に含めなかったようです。

いろいろな対象の候補が挙げられてきましたが、これらの中にピンとくるものがなかったら、自分の好きなもの・自分を高めてくれるものであればなんでもいいよと1.39節で述べられています。

「瞑想法を習う」ということは、まずはその対象をどのように選ぶかということが重要であると思います。

偉い先生に「これに対して瞑想しなさい」と対象を授けられたとしても、違和感があるのであればそれは自分に適した瞑想対象ではないので、遠慮なく手放してしまって良いと思います。「今の自分」に合った対象を、いろいろ試して見つけてみてください。

≫瞑想のメリット・対象の選び方・ゴールについて

≫ヨーガスートラ解説 1.40-1.41
≪ヨーガスートラ解説 1.30-1.32

ヨーガスートラ日本語訳書籍

「インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ」スワミ・サッチダーナンダ (著), 伊藤 久子 (翻訳)

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