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「偏りを経て辿り着いたバランス」が持つ美しさ

「偏りを経て辿り着いたバランス」が持つ美しさ

経験する意味

「偏り」は心身のさまざまな不調を生み、それは人々の争いにもつながります。

もともと均一でバランスしかなかった宇宙に、なぜ分離・偏りは生じたのか?その答えは簡単に表現できませんが、それでは分離・偏りがあることによって、なにかメリットはあるでしょうか。

私達は、「自分」と「周りの世界」が分離していることによって、さまざまな経験をすることができます。

「舌」と「おいしいもの」が分離していなければ、おいしい!という特異な経験はできないわけですね。舌にずっとおいしいものがくっついていたら…どうでしょう?

他人と分かり合えないことで苦しむこともたくさんあるかもしれませんが、他人と自分が分離しているからこそ、楽しい経験も苦しい経験もできるわけです。

分離・偏りが宇宙に生じたということは、私達はいろいろな経験をせよ、ということなのでしょう。

では、経験をする意味とは?

その答えも簡単ではありませんが、ひとつヒントになりそうな「感覚」を私達は持っていると思います。

私達は平和をのぞみつつも、戦国武将に憧れを抱いたり、波乱万丈の人生を送っている人をかっこいいと思ったりします。

平和をのぞみつつも、すべて平穏無事ではつまらない。そんな中で、バランスを探して生きています。

難しいからこそ、挑みたくなるということもあるでしょう。ただ、もちろん難しすぎるものには興味も湧きません。自分に合った、ちょっとがんばれば乗り越えられそうなことを選びながら、少しずつ経験を重ねていきます。

そういった紆余曲折を経た上で辿り着いたバランスというものに、私達は美しさを感じる、という感覚を持っているのではないかと思います。

そう考えると、全ての苦しい経験も、偏りも、経たぶんだけ……美しく?強く?幸せに?進化?……この表現もいろいろあると思いますが、イイ感じに、なれるのではないかと思います。

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高橋陽介

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