ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 2.10 潜在的な煩悩を破壊する
ते प्रतिप्रसवहेयाः सूक्ष्माः॥१०॥
te pratiprasava-heyāḥ sūkṣmāḥ ॥10॥
(読み)テープラティプラサヴァ ヘーヤーハ スークシュマーハ
(訳)これらの煩悩が潜在的な状態のときは、根因に回帰させることで破壊することができる。
[SS]: In subtle form, these obstacles can be destroyed by resolving them back into their primal cause [the ego].
[SS訳]: 微細な形態をとるとき、これらの障害は根因(エゴ)に回帰させることで破壊することができる。
[SV]: The fine Samskaras are to be conquered by resolving them into their causal state.
[SV訳]: 精妙なサンスカーラ(潜在的な想念)は、それらを根因の状態まで分解することで克服することができる。
Sutra 2.11 活動的な煩悩を破壊する
ध्यानहेयास्तद्वृत्तयः॥११॥
dhyāna heyāḥ tad-vr̥ttayaḥ ॥11॥
(読み)ディヤーナヘーヤースタッヴルッタヤハ
(訳)これらの煩悩が心の作用として現れているときは、瞑想によって破壊することができる。
[SS]: In the active state, they can be destroyed by meditation.
[SS訳]: アクティブな状態にあるとき、これらは瞑想によって破壊できる。
[SV]: By meditation, their (gross) modifications are to be rejected.
[SV訳]: 瞑想によって、これら(全て)の心の作用を断つことができる。
解説・考察
煩悩には、潜在的な状態にあるときと、活動的な状態にあるときがあると示されます。
活動的な状態のとき、すなわち心の作用として現れているときは、ディヤーナ(瞑想・静慮)を行うことによって煩悩を破壊することができると言われます。
ディヤーナとはなにかということは、後の方の節で詳しく出てきますが、対象に深く集中して心を一点に定め、対象の本質に気づいていくことです(マインドフルネス瞑想などの元になるもの)。
ここでは心の作用(現れている煩悩)を対象として集中することでその本質に気づき、煩悩に囚われることのないようにしていく過程を示していると思われます。
しかし、煩悩がまだ現れていない潜在的な状態のときは、少しやり方が異なります。
ヴィヴェーカーナンダ氏は、潜在的な状態の煩悩がサンスカーラであると解釈しています。サンスカーラ(ものごとがそのようになる力)であるとしたら、そのままにしておくと必ず煩悩は発現してきてしまいますね。
潜在的な状態にある煩悩を破壊するには、それが発現する根っことなる原因・種について、深く観察することが必要です。
サッチダーナンダ氏の解説によれば、その根因は「エゴ」であるとされます。
2.3節で5つの煩悩が書かれている順番は「無知→我想(エゴ)→執着→嫌悪→生命欲」でしたが、ここでエゴを根因とするということは、無知は全ての根因でありスートラでも2節を割いて説明されていることもあって、かなり特別な扱いをしているように思えます。
まずは無知からエゴが生まれ、エゴからいろいろな煩悩が生まれるというような捉え方のようです(かなり後になりますが、第4章の4.4節でもエゴが他の心の作用が生まれる原因であると述べられています)。
無知が大ボス、エゴが中ボス、あとの3つはその他、という感じでしょうか。
ただ、他の訳者たちは「根因まで遡るべし」とは言っていても、ここでは何が根因であるかまで言及していないことが多いようです。
またヴィヴェーカーナンダ氏は自著Raja Yogaの中で、心の波立ちを消し、そして現れないようにする具体的な方法を述べています。
「悪い波には、反対の力を持つ良い波をぶつけよ」
「良い波を生み続ければ、悪い波が生まれることはなくなる」
「愛は、怒りを打ち消す波である」
≫ヨーガスートラ解説 2.12-2.15
≪ヨーガスートラ解説 2.4-2.9