ヨーガスートラを私なりに読み進めていくシリーズ。
英訳出典:http://yogasutrastudy.info/
サンスクリット語辞書:http://spokensanskrit.org/
訳者の略称は下記の通りです。
[SS]: Swami Satchidananda
[SV]: Swami Vivekananda
Sutra 3.19 他者の想念に関する知
प्रत्ययस्य परचित्तज्ञानम्॥१९॥
pratyayasya para-citta-jñānam ॥19॥
(読み)プラティヤヤスヤ パラチッタ ンニャーナン
(訳)他者が発するアイデアに対してサンヤマを行うことによって、その者の想念に関する知が得られる。
[SS]: By samyama on the distinguishing signs of others’ bodies, knowledge of their mental images is obtained.
[SS訳]: 他者の体の識別的な兆候にサンヤマを行うことによって、その者たちの想念に関する知が得られる。
[SV]: By making Samyama on the signs in another’s body knowledge of that mind comes.
[SV訳]: 他者の体が発する兆候へサンヤマを行うことで、その者の心に関する知が得られる。
Sutra 3.20 サンヤマの対象
न च तत् सालम्बनं तस्याविषयीभूतत्वात्॥२०॥
na ca tat sālambanaṁ tasya-aviṣayī bhūtatvāt ॥20॥
(読み)ナチャタット サーランバナンタスヤーヴィシャヴィー ブータッヴァート
(訳)しかしここで得られる知には、その者の心の中で想念を支えているもの(動機づけとなる背景の思考など)は含まれず、それはこのサンヤマの対象とはならない。
[SS]: But this does not include support in the person’s mind [such as the motive behind the thought, etc.], as that is not the object of samyama.
[SS訳]: しかしここで得られる知には、その者の心の中で想念を支えているもの(動機づけとなる背景の思考など)は含まれず、それはこのサンヤマの対象とはならない。
[SV]: But not its contents, that not being the object of the Samyama.
[SV訳]: しかしここで得られる知は心自体の内容ではなく、それはこのサンヤマの対象とはならない。
解説・考察
超能力に執着してはならないシリーズ、今回は「他者の想念を知る」です。
3.19節の訳では、サッチダーナンダ氏もヴィヴェーカーナンダ氏もサンヤマの対象を「他者の体が発するサイン」としていますが、pratyayaという言葉は様々な意味を持つため(3.17節にも出てきました)、訳者によって解釈が分かれるようです。
pratyayaをnotion(概念・コンセプト)、ideaといった意味で訳している訳者もおり、私はこちらのほうがしっくりくる気がしました。
その人が発したアイデアに対してサンヤマを行うことによって、その人の心から現れてくる想念がわかってくるということかと思います。
しかしこのサンヤマ自体は、その想念を支えている心の背景までは対象としないようです。ただ「ヨーガの力をもってしても心の背景まではわからない」ということではなく、それを知るためには対象を替えてサンヤマを行う必要があるということです。
ヴィヴェーカーナンダ氏は、「心」そのものにサンヤマを行うことでそれが分かると解説し、それと対比するために3.19節での対象は「体が発するサイン」であるとしたように思えます。
ただ、それを知れたところで…また新たな煩悩につながるだけですね。結局は、そんな超能力も要らないのです。
≫ヨーガスートラ解説 3.21-3.22
≪ヨーガスートラ解説 3.18