オンラインレッスンでご質問いただいたので、一般的に役立ちそうな部分を共有しておきます。
ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス瞑想について調べていると、集中を乱すものに対して「それ自体を観察せよ」という指示がよく見られます。
ですが、足がしびれていたり、過去の記憶が湧いてきたりして心の乱れがあった場合、それに対して冷静に観察するというのは、最初のうちはなかなか難しいものです。
そういった「苦行」のような状態でも、しばらく坐り続けていたほうがいいのか?
まず、「それ自体を観察する」という意味を考えてみると、心を乱しているものというのは、「今その人にとって解決するべき課題」から生じていることが多いです。
なので、たとえば足がしびれているのなら、股関節が硬かったり姿勢が悪かったりといった根本的な原因があるので、その状態からすぐに抜けてしまったら、原因がいつまでもわからないので、それを解決することは難しくなります。
つまりある程度は我慢して続けるということは、「解決するべき根本的な課題に対する、糸口を探っている」という意味があるかと思います。
とはいえ今その課題に対して向き合うべきなのかは、自分で判断する必要があるでしょう。向き合わなくてもいい課題であれば、いったんよけておきましょう。そのときはラベリングなどで「今は考えないこと」といった分類をして、それに対してはぐるぐる考えないでおきます。
根深い過去の問題などで心を乱されている場合は、それなりに長く深い瞑想が必要かもしれません。
長く深い瞑想をするためには、姿勢をまず安定させる必要もあります。
そういった比較的簡単な課題を見つけながら(姿勢というのもなかなか簡単ではありませんが)、できるものから少しずつ深めていきます。
心が乱れたら、集中対象にもどるという練習をします。これも練習が必要ですし、練習すれば確実にうまくなっていきます。
参考:「集中」と「瞑想」の比較
なので、いきなり深い課題に取り組む必要はありませんし、長い時間我慢して坐らなくても、できる範囲で行えば良いと思います。気づきを働かせていれば、数分坐っただけでも、その時間は全て意味があるものになります。