企業への出張レッスンで、「健康になりたい」というシンプルな課題が出たので、そこについて深く考えてみる機会を作りました。
どうしたら健康になれるのか。
なぜ健康を損なうのか。
問いかけてみると、「バランス」という言葉が出てきました。
これは、とても良い気づきですね。
さらに、「体だけでなく心のバランスも大事」という話が自発的に出てきたので、素晴らしい。
私もセルフケア論で「偏り」が不調の原因であるという話をよく書いています。
偏りに気づいたら、逆の刺激を加えればバランスへ近づいていきます。
しかしその刺激を加え続ければ、また逆側へ偏ります。
アーユルヴェーダの技法の多くはこのような原理でバランスをとっています。なにかをやりすぎると、その方向へ偏っていってしまうので、その逆のことをしてバランスを取ろうとします。
そういった偏りの逆刺激方法に対して、片鼻呼吸や完全呼吸のように、偏りをなくして自動的に整う方向へ向かっていく便利なバランス法もあります。こういった技法は、いくらやっても偏りにくいという利点があります。
偏らないようにするには、どうしたらいいのか。
何かをしようとすれば、それは新たな偏りの始まりです。
選択肢が多すぎる現代においては、新しいものを「加える」ことに発想が向かいがちですが、加えることをいつか止めて、なにもしない「ニュートラル」な状態に、いつでも戻ることができるようになれると良いのではないかと思います。
ニュートラルな状態は、一見怠けているようにも見えますが、どの方向にも全力で動き始めることができる状態です。
命をかけた勝負をしている武士は、このような状態にいることができれば、どんな攻撃にも対処できます。
命の危険のない世界では、偏ったままでも生きていけてしまいますが、偏りが慢性化すると健康は損なわれ、全力で動くことができない固まった体と心になってしまいます。
いつでもニュートラルな状態に戻れるようにしておくというのは、バランスを整えて健康を維持するための鍵の一つとなるかと思います。
「ニュートラルになろう」という「加える」発想をしていたら、なかなかうまくいかないかもしれません。まずは「余計なことをしない」ようにしていくというのが練習になります。
シャヴァーサナ(屍のポーズ)や瞑想は、そのための重要な練習にもなります。シャヴァーサナで眠ってしまっていては、すぐに全力で動くことはできませんね。人は生まれる瞬間、全力で産声を出して呼吸し始めるはずです。
なるべくニュートラルでいられれば、もし命をかけて本当に大事なことをする瞬間が来た時、全力で動くことができるかもしれませんね。
なんだかストイックな話にも聞こえるかもしれませんが、いつでもニュートラルに戻れることがわかれば、実は思い切って「偏ったこと」も楽しめるようになります。
どんなに偏っても、すみやかにニュートラルに戻れるのであれば、思い切った行動ができるようになります。
「偏り」そのものは悪ではなく、偏らなければ行動できません。偏りを楽しんだ上で、ニュートラルに戻れれば良いのです。
不健康な偏った状態が続いていると、翌日に仕事に行けるのか心配で、思い切った遊びはできませんね。人生の楽しみも限られた領域になってしまいます。
全力で楽しむためには、すぐにニュートラルな状態に戻れるような、柔軟性とバランス感覚があると良いかと思います。