「自分の知識が完成するまで、人には教えない」というのは、なかなか難しいことです。
世の中の「先生」に、完璧な人などほとんどいないでしょう。
今お伝えできる最大限のことをお伝えしながら、その過程で私も学んでいます。
お伝えすることは、「Teach」よりも「Share(共有)」に近いものかもしれません。
日々学びながら、より深く精度が高い内容をShareできるように実践を続けています。
そんなことをずっと思っていたら、インドで哲学の「先生」も全く同じことを言っていました。
自分の不完全さを受け入れながら、日々Practiceだと。さらには、みんなが「Family」だと言ってましたね。
だとしたら、ティーチャーではなくシェアラー?
なんかしっくりこないですね。
呼び方は先生でも、名前でも、どちらでも結構です。